「唐人」と平気で差別用語を使う日本人の人権感覚を改めよう!

日本最初の開港地である静岡県の下田は、幕末の歴史の中で非常に重要な役割を果たした。美しい港町だ。しかし驚いたことに下田市ではいまだに「唐人お吉」(とうじんおきち)という差別的なニュアンスをもった呼称を相も変らず使用していることである。「唐人お吉」の彼女の本当の名前は「斉藤きち」であり、今日で「唐人」という歴史的な呼称を彼女の名前に冠して使うべき存在ではないのではないか。

私は、19歳の彼女の淋しそうな写真の表情を見て胸をつかれたようにハッとした。その写真は安政6年、水野半兵衛氏によって撮影されたものであるが、なんという暗く悲しい表情をしていることだろう。

日本人は、当時、外国人に接した彼女を蔑んで迫害したが、150年も経た今でも唐人と冠してー唐人とは、江戸時代の外国人を呼ぶ時の用語ーといって、今もなおさげすんでいるように感じるのだ。そして見世物にしているように感じる。この名称の方がいいというかもしれないが、それは違う!お吉には、だれも親戚縁者などの身寄りもなく、彼女に冠した用語に対する蔑称に抗議したりする日本人が150年間いなかったのだ。


そして日本人一般もそれでよしとしてきている。映画や歌舞伎の世界などで「唐人お吉」と呼ぶことに、私たち日本人は慣れており、そうした言葉によって彼女の存在に愛着感を示しているというかもしれないが、私はそうではないのではないかと思う。

「毛唐(けとう)」・「ラシャメン」・「唐人」といった蔑称的な言葉は、歴史の中で、きちんと歴史的な差別語として教えるべきで、見世物のように「唐人」を今も売り出すものに使ってはならないのではないか。唐人という言葉は、唐人踊りなどと今も、日本では使われていることもあり、唐人が差別語であるかどうかの判断は難しいところはあるが、ただ言えるのは、おそらくこの用語を冠せられた者は誰だって、嫌がるのは目にみえている。お吉だから特別に許されるというものでもないのではないか。写真を見ていると、お吉が一番嫌がるのではないか?れっきとした本名を使うべきである。

ウィキぺディアによると、「メリケンという言葉は、Americanの転訛で、アメリカの、アメリカ人、アメリカ人の、などの意味を表す言葉。メリケン粉メリケン波止場メリケンサックなどに見られるように、この種の日本語としては珍しく、あまり差別的なニュアンスは含まれない。しかし、一部では蔑称のような使われ方をすることもあるため、差別語とみなされることもある。昭和前期までは日常的に使用されたが、終戦後はアメリカンという表記に取って代わられ、懐古的に用いられる場合を除いてはほとんど使われなくなった言葉である。」とある。

「斉藤きち」は見世物的存在ではない。当時、ハリスやヒューケンたちが奉行所を通じて、日本の女性を望んだのは、幕府との交渉時にハリスが胃潰瘍に悩まされ病弱であった時期だけに、お吉をナース(NURSE) 看護婦としての存在を求めたのに、当時の奉行所はナースの意味がわからず、若いお吉を口説いて娼婦のように差し出したのではないかと思われる。

そしてお吉は、下田奉行所の命令で、恋人と引き離され、無理やり侍娼(じしょう)として遣わされたが、わずか3ヶ月間ほどで看護婦としてハリスに接しただけの経験をもつなのに、支度金のやっかみも手伝って世の中はお吉を徹底して笑いものにして迫害してきているのである。

黒船が日本に来てから、早や150年も過ぎたが、日本はいまだにアメリカに対しても、複雑で卑屈な態度を正さない。世の中は、お吉をまるで娼婦のように差別して悲劇の主としておもしろおかしく扱っている。こうした用語をいまだに使っていることを知ったら、お吉は草葉の陰でなんと思うことだろうか?もちろん下田市が、慰霊祭などで意や敬意を払っていることは十分知っている。

一方のタウンゼント・ハリスは、1846年にはニューヨーク教育局長をつとめ、ニューヨーク市立大学の前身フリーアカデミーの創立者でもある。そして日本に初代の総領事として赴任した最初の日記には、星条旗を掲揚したときのことを 「・・・・旗棹が立った。・・・・日本最初の領事旗を私は掲揚する。厳粛な反省ー変化の前兆ー疑いもなく新しい時代が始まる。あえて問う、真の日本の幸福になるであろうか」と書いている外交官でもあるのだ。日本が幸福になるであろうか?と問うような総領事とは人間的にも優れた資質をもっていたのであろう。

下田市は、一刻も早く「唐人お吉」といった用語を冠した差別語的なニュアンスを撤回してもらいたい。そしてお吉の名誉を回復してもらいたいと願うのである。「お吉の悲劇的生涯は、人間の偏見と権力、その底にひそむ罪の可能性と愚かさを身をもって教えているようです」と宝福寺の記念館の案内書には書いてあるが、もし本当にそう思うならば「唐人お吉記念館」というような現在の名称は変更すべきではないか。唐人という名称を売りものにしてはならない。

「斉藤きち(吉)」は、幕末にあって、人々の偏見や無知のなかで攘夷に揺れる若者を説得し、陰ながら日本の開国のためには全生命を投げ打って奉仕して生きたことは疑いない。日本の開国時に、人々から陰口を叩かれながらも、日本の近代化に向けて心から大いなる貢献を行った、下田が生み出した偉大な女性なのだと思う。それを決して忘れてはならない。


「唐人お吉」ではなく、「下田のお吉」、あるいは「幕末のお吉」の呼称でいいのではないか?