原発についての本当の話と子どもたちの未来の地球-

これは日本の原発現場で、長年、監督(配管が専門)をされた平井憲夫氏(1997年にガンで死去された)が、ガンとなり、死を前にして心から叫ばれたメッセージです。こうした真摯な叫びに対して、数多くの誹謗中傷が行われてきましたが、これらはすべて原発を推進しようという勢力が企んだもののようです。今日の情報化時代には、知識や情報の真偽を十二分に見極めていく必要があります。

福島の原発事故のあと、電力会社、政府、マスコミなどは3月15日などの水素爆発にも関わらず、放射能汚染の数値などを国民に全く示さずに、たえず「ただちに健康に害はない」と繰り返していました。健康に関しても、国民は目隠しをされながら、絶壁に向かっているような状況です。

そして現在、アジアの国々の状況を見れば、中国、インド、韓国などは、福島での深刻な原発事故にもかかわらず、国民の声を聞かずに大規模な原発建設を押し進めています。「原発とはなにかについて」の遺書となった平井さんの叫び声を真摯に耳を傾けていく必要があると思います。http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

20年前に刊行された”沈黙の珊瑚礁”という本の中で”石棺”という物語は、アジアで広がっていく原発廃棄物の状況を描き出したものですが、2050年頃は、アジア地域に原子力のエネルギーが最も満ちていることがSF的に描かれています。そしてその廃棄物が、廃棄物の管理のミスや、コンピューターの誤作動、大地震などによって次々と壊滅していき、アジア地域では、最も石棺が多く作られていく地域として描かれています。

そしてその結果、人類は地球の放射能汚染から逃れるために、地球を捨てて他の星へと移住していくことを考え始める最初の人間となってくのですが、アジア人は、その頃、中国やインドを始め、経済的な成功を最も達成し、そして最も重大な事故にも直面していくのです。その最初が日本の福島原発の始まりであったわけですが、、ドイツのような賢明さはもたず、中国もインドも韓国も、そして日本も懲りもせず、原発の全盛期を迎えていくのでしょう。

こうした状況には、国境を越えて人々が連帯し、廃炉にしていくための行動を起こしていく必要があります。そして同時に再生エネルギーの活用についても、企業などの利益を超えた幅広い連帯が必要になってくると思います。


平井さんの「原発がどんなものか知ってほしい」より抜粋

「閉鎖」して、監視・管理

 なぜ、原発廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。

 先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。

 放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。 

 今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があることになります。

 しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇〜八〇基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。

 これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。

どうしようもない放射性廃棄物

 それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。

 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。 しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。

 現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。

 もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。

 原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早く、原発を止めるしかなんですよ。

 私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか? そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。

 それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。