ミャンマーの難局を打開するのは、あなたたち若者だ! 軍政下のミャンマーで講演

2007年6月、私はミャンマーキリスト教大学の学長から招かれて全学生280名と教師15名を対象に、学校付属の教会で2時間30分の講演を行った。

教会で話したのは、私は初めての経験であった。その当時はまだ軍事政権の厳しい目が随所に光っていて、なかなか緊張した時間ではあったが、連れの通訳兼講師がいなかったので、まるで激を飛ばすように自由に、広島弁風の英語で話をしたが、その内容は多岐に渡った。講演のあと、質疑応答が長く続いたので、参加者との質疑応答の内容も紹介する。      

私の講演内容は、私の宗教とは何か、ということから始まった。広島で生まれ家は農家で、両親の宗教は神道と仏教であったこと。 原爆投下された広島に生まれたこと、平和や環境などさまざまなことを学んできたこと、法律と哲学を学んだ学生時代には、ベトナム戦争に反対して学生運動にも参加したが、当時、私は無宗教であったこと。それから数年間のドイツやインドでの遊学を経た後、アジア・太平洋地域で20年間、ユネスコ活動をやってきたことなどを識字教育の内容にも触れながら話した。                                          話のあと、韓国から来日した1人の韓国人学生が、新大久保駅で、ホームに転落した日本人の酔っ払いを助けようとして亡くなった実話―捨身の話をした。なんでもしゃべることは簡単だが、実行することは非常に難しい、と話したあとミャンマー語でも翻訳されている私の寓話「コンキチーさびしい狐」の話をしたところ反響が大きく、美しい英語を話す女性講師はすぐに立ち上がって、「私たち、チン州の出身者は、海外に働きに出るものが多く、この物語は私たちの生き方に重なっています。実に考えさせられる。大変感動した」と感想を語った。知的な目つきをした女性講師だった。彼女の親戚はすべて海外で働いており、現在はオーストラリアに定住していると言った。そこで講演は終わって質疑応答に入った。

Q あなたの宗教はなにか?
A 講演でも述べたように、私の家庭では、両親は古来からの宗教である神道と仏教のふたつを信仰していた。中学校時代は、私はキリスト教の聖書を毎夜読んでいたし、高校時代にはいろいろの哲学書も読んでいた。しかし大学時代は無宗教であった。私の宗教は例えば私の胃袋みたいだ。栄養のあるものならなんでも食べて栄養にする。私はあるとき、パキスタンで、イスラム教徒が多数集まる金曜礼拝に招かれて話をしたことがある。そのとき私は最初に「私はこのような口ひげを生やしているが、イスラム教徒ではない。仏教徒である。」と話を始めたと言ったら、会場は大爆笑であった。                              「宗教はあたかも山の頂上に向けて、みんながそれぞれ違った方法で登っていくようなもの、真理への道は無限の方法があるのではないか」と激励したつもりだ。そしてかってマレーシアへ行ったとき、祈りの時間に、マレーシアの友人が聖地メッカのある西の方向へ向かってお祈りを始めたので、私もお祈りを始めた。友人が祈りのあと「あなたはどちらの方向へ向かって祈ったのか」というので、私の祈りは東西南北と天と地―つまりあらゆる方角に向かって祈っている。それは私の内なる自然と外なる自然である」と言ったら、友人はいかにもわかったような態度でうなずいた。                                   私は、人間の中のすばらしい生き方をする存在は神のように大きな敬意を払っている。強いていえば、私の神とは外なる自然と内なる自然を合一するような存在である。」と答えたら、みんな納得したような空気が会場に流れた。

Q あなたが話したキツネの物語はいったい何を伝えようとしているのか?
A それに答えて、「人は人生において目的に向けて一生懸命に働くことがあるが、目的が間違っているときには、他人を殺すような恐ろしいことも21世紀には存在しているのではないか。それは核兵器をつくったり、環境破壊を行ったりするために働くことも同様ではないか。もちろんチン州の山々から大木を切り出している人々も深刻な状況だ。

Q 日本はなぜ世界でもトップの国になることができたのか? その秘訣はなにか?
A それは日本は基礎教育に大きな力をはらってきたからだ。基礎が大きいと、高い山が築けるからだ。高い山は実に広大な裾野が必要だ。100年前、日本は、すでに90%に達するぐらい高い識字率を誇っていた。そして外国からの知識や情報に敏感で、海外で出版されたものはいち早く日本語で翻訳出版したり知識や技術の獲得には異常なほど熱心であった。ドイツやフランスで出版された本でも、数ヵ月後には日本語に翻訳されていく状況が日本にある。教育立国だということだろう。

Q 日本になぜ自殺が多いのか? 
A これは日本社会がかかえている複雑な背景があるが、健康問題、経済・生・活問題、家庭や人間関係など激しい競争社会環境の中で傷つく人も多い。また閉鎖的な人間関係も大きな原因となっている。日本には生きる意味を喪失した社会も存在している。また最近は、子どもの自殺も増加している。日本でも豊かな社会環境がきちんとできていないということだ。

Q 「チンの若者は日本人と比べると背が低い」と発言した者がいた。
A  そこで私は、チン教育大学のヘンリーという学長は、私よりも背が高かったので「どうぞこちらへ」と言って壇上に招き一緒に立った。「皆さん、私より背の高い人がチン州にはいるでしょう」と述べたら、みんな大爆笑だった。

Q 広島にはまだ原爆の後遺症で苦しんでいる人々がいるのか?
すでに戦後60年が経過しているが、日本には広島と長崎の原爆で苦しんでる方は、まだ相当たくさんおられる。原爆症は染色体を通じて遺伝するので二世三世と苦しみが続いているし、私の田舎の近所の人も、原爆で被爆した人々の救出に行って、二次被曝をして長く苦しんでいる方がいた。

Q NGOの役割について知りたい。

A  NGO(民間組織)は、社会の中で実に重要な働きをするものだ。NGOは、政府組織GO都は大きく異なり、だれでも参加できるものであり、国や社会の方向性をチェックするためにも重要な働きをする機関ではないかと話した。そしてNGOはGO政府組織が、出来ないあるいは持っていない自由と創造性を持っているということを話した。さらに具体的に、日本の熊本で水俣病という公害病が発生したとき、それがどのように発生したか、そしてどのようにそれを解決していったということを話した。 政府も県などが企業と結託して公害の原因を見つけないときには、大学のような自由な機関やNGOなどがその原因を勇気をもってつきとめた役割があったと思うと、軍政下にある彼らを思い切って激励した。

Q 社会開発や村落開発はどのようにやっていったらいいか?

A 日本では、個々人がそれぞれがユニークな開発を行った成功例があることを話した。例えばそれは、一村一品運動のように、それぞれの地域の多様性や独自性をもって開発していくことーそうやってチン州をさらに豊かにしていくことができるのでは・・・お茶が生産がいいからと言って一種類のお茶を生産するだけでなく、たくさんの種類のお茶を栽培することで、価格の暴落を避けることや、品質を上げることができる。ユニークで最高の品質を目指すと、それは村の本当の発展となるのではないか。 新しい知識や情報が世界を変えていく、

Q 日本の交通事故はどのような状況か?
A 日本の交通事故の死者は、毎年、約5000人以上、自殺者は約3万人以上である。オートバイは日本製が多いが、交通事故で苦しむ人も多い。中国では年間7万人近くの人々が交通事故で死んでいる。交通事情が良くなって一見便利になっていくように見えるが、実は深刻な悩みも直面しているのが実情だ。

最後に: 自分たちの住むチン州の地をパラダイスにしてほしい。地理的に不利に思われていることが多くあっても、それは決して不利ではないということ。豊かさを築く方法はたくさんあるし、さらなる学習をしてほしい。日本には、エネルギーを取り出すために、現在原発が55基あるが、中国は、これから100基も作ろうとしている。電気というエネルギーが社会発展に必要だからだ。しかしいずれの国も放射性廃棄物の処理の仕方は出来なくて深刻な課題となっている。考えてみれば、人類は今、いろいろな局面で文明の危機に立っているようだ。こうした難局を打開していくのは、あなたたち若者だ。ミャンマーに希望の灯をともすためにも、ぜひがんばって欲しい!


* この訪問は書店で、偶然に大学理事長から招待をうけたものだが、偶然とは思えないほどいい出会いとなった。これがあったので私のチン州での滞在は本当に実り豊かなものになった。教師のワークショップの会場と異なって、思い切りいろいろ自由にしゃべれたのは良かった。厳しい軍事政権下で、このような自由な講演を行っていたことを考えると今でも冷や汗がでるが、ミャンマー民主化に向けて、捨身のような気持ちでしゃべったのも確かである。  (2007年6月)