「非識字者」から、「未識字者」へと呼称を変更したい!その理由は?

従来から、日本では文字の読み書きのできない人々を「非識字者」と呼んでいますが、私はこの呼称は余り気持ちのいいものではないと思っていす。非ということばがもたらす区別への冷たさから感じるのです。            

「識字者」に非とつけることは、人と人とを冷たく区別させ全く別な世界に住んでいる人のように感じさせるからです。だれだって、読み書きの努力をすれば、すぐに読めるようになるのですから・・・・日本では、昔は文字の読み書きのできぬ人々を「文盲」(もんもう)と呼んで差別してきました。私は文字の読み書きのできぬ人々は、<”未だ識字者ではない”>という意味で「未識字者」と呼ぶのがふさわしいと思っています。これから文字を学ぼうとする人々たちのことです。みんな努力したら識字者になれる存在なのです。かれらを心から激励しましょう。                                                         
あなただって、日本語の他にどれだけ他の言語の読み書きができますか?はい。そうです。あなたも他の言語では、未識字者ですね。ふさわしくない学問用語は、勇気をもってどんどん変えていきたいものです。日本には時代や目的にふさわしくない用語が余りにもたくさん残存しています。日本の歴史では、同和問題において、差別された人々のことを非人(ひにん)といって差別してきた用語もありましたが、現在はこのようなことばは、使用が禁じられており、全く使われてはおりません。同じ人間としての存在を、このような言葉「非」の言葉によって厳しく区別する誤りを深刻に認識したからでしょう。

また未就学とは言いますが、非就学とは言いませんね。未就学の子どもでも大人でもやがて就学することを意識すると非という文字よりも未の方がはるかにふさわしいのです。