人との出会いは、偶然か必然か?

2015年8月26日
人生では、いつもなにがあるかわからない。そしてそれが偶然なのか、必然なのか、幸運なのか、不幸なのかもよくわからない。しかし人生はいつもなるようになっていくし、転がるように転がっていく。意志があろうとなかろうと、地震津波葉も起きるときには必ず起きるし、望まない戦争だって起きていく。しかしどんな時にも、人間の意志ほど大切なものはない。
昨日は早朝、カンボジアプノンペンにあるホテルの1階で、私はプロジェクトからの出迎えの車を待っていた。するとホテルの玄関口の庭先で、いつもイスに座っている警備員の姿が見えず、イスひとつだけがポツンと置かれていた。そこで私は外に出て警備員の代わりに、そのイスに座って車を待つことにした。しかしなかなか車が来なかったのでWIFIの環境下でもあり、パソコンを取り出して物語を書き始めた。


しばらくするとホテルの中から客がでてきた。背の高い欧米人・・・するとかれはふとこちらに近づいてきて「あなたはなにをやっているのですか?」と聞いてきた。そこで私は、「そういう質問をするあなたはだれですか?」と質問者へ応酬した。すると彼は、「いえ、ホテルの庭の樹木の下で、パソコンを打っている人をみかけたので声をかけてみたのです」という。「・・・私は人間に興味を持っているので・・」と言う。


「なるほど、そうですか」私も丁寧に答えた。「今、私は教育関係の仕事で、カンボジアへ来ていて、図書館設置や識字教育の仕事をしているのですが、そういうあなたは、この国で何をやっているのですか?」と尋ねると、すると彼はすぐに名刺を差し出した。それを見ると、彼はアメリカ人の医学博士で、感染症学会の会長、現在プノンペンの小児病院などで診療にあたっているという。「あなたの名刺は?」と聞いてきたので、「私は今、名刺を持っていません。しかしいろいろの物語を書いているので、その本を名刺代わりにフロントに置いておきますね。差し上げます。あとで読んでみて下さい」と答えると、かれは嬉しそうに車に乗り込んだ。


そして次の日の朝早く、ホテルのフロントに、私の名刺と「大亀ガウディの海」の英語版を手渡してくれるよう依頼した。すると一日後の今朝、私は彼から丁寧なメールの礼状を受けとった。それを読んで、なるほど人生での出会いとは「全く不思議でおもしろい」こうした出会いは、いつもなにかしらおもしろい未来を予感させる。しかしこの世界では「見えない世界が狂ってくるときには怖ろしいことが起きるのは感染症の世界そのものでもある」。この「大亀ガウディの海」は、私は常々この世界で、これを最も必要とする人々へ手渡していきたいと思っていたので、たまたま私が警備員のイスに座ってパソコンを打っていたために、それが叶ったのだ。(笑)


メールには、博士が昨日の偶然の出会いに喜ぶと同時に、著書を受け取ったことへの感謝の言葉が丁寧に綴られてあった。そして受け取った本を読んで感動したこと、米国のカリフォルニアに住んでいる妻や4人の孫たちにも是非読ませたいことなど。彼の一家は大変な読書家だという。そしてまた8月26日の今日は、かれらの「54回目の結婚記念日」で、数年前には、家族全員で南米のコスタリカへ行って、海岸で大きな海亀が100個もの卵を産卵して海へ帰って行く大亀ガウディと同じ光景を見たことがあり、その感動的な光景が忘れられないとも書いてあった。


そこで私もメールですぐに返事を送った。「出会いとはおもしろいものですね。たった一言、あなたが、私に声をかけたことから、出会いが始まりました。人生の出会いでは、偶然か必然かよくわからなことがありますが、今朝の博士との出会いに感謝しています。拙書の「大亀ガウディの海」の本は、実は太平洋での核実験や原発で海が壊されて、現在人間を含め多くの生物たちが苦悶していることを書いた物語です。40年前に書いたものですが、アジアでは、カンボジア語版も含めて、すでに23言語で翻訳出版されています。昨日の博士との偶然の出会いに感謝し、この本を心からお贈りしたいです。これは太平洋の生き物と広島からの叫びのメッセージとも言うものです。いつかまたお会い出来ますことを!」


人間の出会いとは、果たして偶然でしょうか、あるいは必然でしょうか? FBもまた然りですね。