人間の生き方を識字から考える

国際識字文化センター(ICLC)の識字講座から

早稲田奉仕園セミナーハウスを会場に、大沢敏郎氏を講師に迎え、ICLC識字連続講座の「日本の識字を考える」を開催した。大沢氏は、23年間にわたり、横浜・寿町でさまざまな人を対象に日本語の識字教室を行っている、まさに実践の人。日本の識字の変遷と現状について、お話を聞かせていただいた。


【日本の識字の変遷】

 日本の識字は、江戸時代の寺子屋のような形で、ずっと続いてきたのだが、いわゆる識字運動が目的を持って行われたのは、1960年代の福岡の炭鉱地帯からだった。当時、合理化の波により鉱山が閉鎖になると、それまで何世代も炭鉱に潜って仕事をしていたため読み書きを必要としなかった被差別部落の人たち、在日朝鮮人の人たちにとって識字が必要不可欠となってきた。

そこで、地元の学校の教師たちに頼んで「あいうえお」から教えてもらうようになった、というのが始まりである。また、その頃、高知の長浜の被差別部落の母親たちが憲法の学習を通して読み書きを学びはじめた。憲法のなかには「義務教育はこれを無償とする」という文があるが、現実はどうか。そこで考え込んだ彼女たちは、教科書をタダにする会、を結成。それがやがて全国に広まり、68年ぐらいまでには日本の小・中学校の教科書は無償配布されるようになったという。

 現在でも、特に関西方面では多くの大人が夜間中学校の門をたたいて識字を基礎とした学習を行っている。在日朝鮮人のなかでも1世の人はもう1割を切って4万人ぐらいになってしまったが、彼女たちを対象とした日本語の識字というものも存在する。また、ほとんど読み書きを習う機会がなかった障害者の人たちが、成人になってから識字教室に通うというケースもある。さらに、日本の識字を語る上で大切なのは、アイヌの人たちの識字であり、アイヌの人たちの間で現在、アイヌ語教室というものが行われている。

【寿識字教室の人びと】  23年間識字教室をやってきて、本当に愕然とすることがある。ドヤ街の真ん中の教室なので、酔っ払いが入ってくるとか、騒いだり、怒鳴ったりしてくれるのも、自分はとても大好きだが、生徒さんが心で書く作文には、魂をゆさぶられる思いをするのだ。

ゼロから読み書きを教えてくれ、と入ってきた男性が、後に自分の母親が死んだときのことを長い作文にしてきたことがあった。息を引き取った母親に向かって「おかさん」と叫んだ、と書いてきた。実際になんと呼んだのだろう、と思って、みなの前で朗読してもらったのだが、彼は「おっかさぁぁん」と、部屋が割れるようなものすごく大きな声で叫んだのだった。これを聞いたときに、自分が受けてきた学校教育というものは完全に終わった、と実感した。文字を直し、標準語にし、句読点をきちんと打つこと、それが学校教育であり、そこでは「おかさん」は間違いなのだ。それ以来、言葉を直すことは一切やめてしまった。在日一世のオモニたちが書く日本語も、彼女たちの苦難の歴史であり、これを直そうとはもう思わない。

 識字教室にはいろいろな人たちが訪れる。朝鮮戦争に少年兵として従軍した韓国の男性は、出稼ぎ労働者として寿町に働きに来ていたが、父親や幼い弟の死を作文に書いてくれた。スペイン系ペルー人の男性は識字に通いながらクレーンの運転の資格を取った。失明した男性が訪れたときには、プラスチックのスレートをくりぬいて、独自の筆記用具を作って勉強した。「危険」という文字が読めなくて、工場のプレスで指を3本切断してしまった人もいた。事故後、言われるがままに捺印した書類には、会社は一切責任をとらないと書かれていたという。どんなに腹が立ったことだろう、と思うが、そんな彼は実にまっすぐですばらしい文章を書くのだ。

 これまで生きてきたなかで本当に書きたいことを書くということ、そしてなぜ自分がこんなふうに生きてきたのかを振り返るため、そのための識字が必要なのではないかと思う。それは、情報があふれる中、頭の中がぐちゃぐちゃで、整理できない状態におかれた現代の日本の子どもたちや若者にとっても同じように必要なことだろうし、それが、亡くなったブラジルのパウロフレイレが言い続けた「人間の覚醒」につながるのだと思ってならない。


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 会場には大学生も多く、「高等教育を受ければ受けるほどごちゃごちゃになった自分」との葛藤について、大沢さんとの質疑もやりとりも興味深かった。毎週金曜夜、誰でも歓迎という寿識字教室に、その後通ったという学生もいたと聞く。途上国の識字と日本の識字は構造的な部分では同じであり、識字とは自分を取り戻すためのものでなければならないということが実感された。詳しくは、大沢さんの著書「生きなおすことば」(太郎次郎社・2003年)をお読みいただきたい。

2003年10月18日、