人間はなんにでも慣れる存在ーなんでも行う存在

この頃は、現実の世界でおよそ想像もできない事件が、いつでも どこでも起こりうることをよく示していますね。19歳の名古屋大理学部の女子大生による77歳の女性殺人ー女子大生曰く「幼い頃からひとを殺してみたかった」また凶器に使ったとみられるおのについて「人を殺したくて中学生の頃から持っていた」。さらには「高校時代に友達に毒を飲ませたことがあり、友達には失明という障害が残ったようだ」と言っているそうです。彼女は幼い頃からの強い欲求を、ただ実行に移しただけなのでしょう。
ドストエフスキーの言葉のようにまことに「人間はなんにでも慣れる存在」、「なんにでも成れる動物」ですね。思ったことや想像したことを 自由自在に実行に移すにんげん・・それぞれを個別の狂気として簡単に片づける前に、戦争も闘争も破壊も殺人も、すべて人間の「思考やこころ」によるものと考え、私たちにつながるこの人間たちの「限界を知らない”言葉”」や「”行為を無限に作り出す手”」を、コンピューター時代に、きっちりと育んでいかないと、今後、想像もできないような悲劇と狂気が交錯する時代が到来するのを予感しますね。
人間自身の「狂気に満ちた二本足の動物の歴史」をきちんと振り返っておくべきです。自然は自然の範囲内で、生成し消滅し循環に入りますが、人間は自然を破壊したり、自然を変えたり、絶滅させたり、およそ「想像できないことを平気で行う動物」ですからね。もっともっとこの事実を、次世代の子どもたちに伝えていくべきですね。