パキスタンの刑務所の子どもたちに識字を! 図書館の設置運動

1998年の暮れ、私はパキスタン政府の社会福祉省の青少年福祉を担当している職員の依頼で、刑務所に収容されている子どものための識字教育活動に協力する機会を得た。当時私はJICA(国際協力機構)からパキスタン政府へ識字専門家として派遣され、連邦政府首相識字委員会(PMLC)のアドバイザーをしていた。


まずは実態把握から

私は刑務所に収容された子どもたちの実情についてよく知らなかったので、まず職員にパキスタン全土で収容されている子どもの数字や実情を記した資料を要請した。しかし、いつまでたっても福祉省の職員から報告書や数字らしい数字が示されない。そこで私は職員に厳しく質問した。「なぜ、いろいろの数字を教えてくれないのですか。客観的な実情を知っておかないと、つまり子どもたちが何か所の刑務所にどのくらいの数で収容されており、どのような状況におかれているかを知らないと何も対処できないのはおわかりでしょう?それとも、上司から外国人にはそのような詳しい実情を話すなと口止めされているのでは?」

と問いかけると、彼女は最初は強く否定していたが、やがて「はい。そうです。」と素直にうなずいた。そして上司との話しあいの結果、ようやく私にその書類を見せてくれた。

それはパキスタンの全土にある約80か所の刑務所に約7000人の子どもたちが収容されている書類であった。こうした数字を正確に掴むことはなかなか容易ではない。私はどの

国でも、刑務所に収容された子どもたちの問題に取り組むのが困難なことは知っている。青少年の犯罪は、社会的にも深刻な課題で、とくに国際的な人権問題としても広がることを各国の政府は極力恐れているからだ。内部の事情は漏らさないものだ。しかし私は「もし識字教育の協力が必要でしたら、病院の医者のように怪我をした患部を見せて下さい。頭に怪我をしているのに足に包帯を巻いてもなんにもなりませんから」と言って刑務所の実態調査をすることを強く要請した。

こうして私は1998年に、ラワルピンディの郊外にあるアディアラ中央刑務所に初めて足を踏み入れた。そこには約4000人以上の大人たちが収容されている監房と約200人を超える子どもたち(10歳から18歳)収容されている監房があった。刑務所の中では、看守がいかにも威厳をもって警棒を振り回している。

子どもの刑務所での、聞き取り調査の結果、貧困や無知のために犯罪者に仕立てられた無実の子どもたちや大人の犯罪に利用された多数の子どもたちの話を聞き非常に驚いた。窃盗、麻薬運び、殺人、浮浪罪、テロなどあらゆる罪名がつけられていた。しかし家庭の貧しさからくる無数の小さなジャンバルジャンの目を多数牢獄に見た。調査のとき、「お願いです。助けてください。僕は誰も殺していない。僕が捕まっていることを家族に知らせて下さい!」と訴えてきた子どもがいた。その14歳の少年は殺人罪で収容されていたが、これは無知な貧しい子どもを犯罪者に仕立てたケースだった。すぐに弁護士に連絡し救援活動も始まった。

リーガル・リテラシーという言葉がある。これは法的な必要な知識や情報能力などを意味しているが、自由に知識や情報を選択できる子どもたちは、世界では非常に限られている。多くの子どもたちが犯罪人に仕立てられている。とくに数多く存在しているのは境界をめぐっての家同士の争いで、殺人が行われたときには、その首謀者に必ず子どもを使って警察に突き出すのである。これは社会習慣ともなっているようで、子どもは決して死刑にはならない。大人は罪を逃れることができる。ペシャワールのような地域から麻薬を運ぶ仕事を、なにも知らない子どもたちに強制している犯罪マフィアなど、貧困な子どもを利用した犯罪が存在して増加している。そうして無実の子どもたちが多数刑務所に入っている。ほとんどの場合彼らは10年以上の刑に服しても、復帰できるような環境には置かれないので、結局社会に復帰できず再犯で生涯を刑務所で暮らす多くの子どもたちの存在があった。

こうした状況は、パキスタンに限らず世界的な傾向であるが、近年はますます何も知らない子どもたちに大人が武器を

渡して、戦争の担い手にされる子どもの数が激増している。大人は子どもを利用し生きていると思われた。こうした環境の中で、知識や想像力は、子どもたちの精神的な大きな癒しになり拠り所になり、自立の力となるはずだと思った。私は牢獄の中でなんの輝きもないうつろな目つきをしている大勢の子どもを見てなんとかして、家庭や社会や知識から遮断された子どもたちを救いたい。知識や本を読む喜びは富裕な人々だけのものではないと思った。


「みんな、なにをやりたい?」


こうした最初の調査をもとにして、まず私はこの刑務所での最初の仕事は狭い劣悪な監獄に収容されている子どもたちに、クリケットやバドミントンなどスポーツ用具を贈呈することであった。彼らが収監されている牢獄は、実に狭い。一人が畳一枚にも満たないものだ。青白い顔をしている子どもたちに「みんな、なにをやりたい?」と問いかけるとそれは「戸外でスポーツをやりたい」という答えであった。そう、成長盛りのかれらを太陽の下でスポーツさせることが彼らの健康を確保する道につながるのだ。太陽の光を彼らは欲しいのだ。そこで私が行った一番最初の仕事は子どもたちが自由にスポーツができるように支援することであった。刑務所長はこの申し出をすぐに承諾した。性急に子どもの人権問題として取り上げると、刑務所の関係者はすぐにこうした要求を遮断してしまう。、特に外国人が「子どもと人権」について具体的な問題を提起すると、彼らはすぐにその要請を拒絶してくる。人権問題として取り上げられることを最も敏感に怖れているからだ。                                                                                                                                                                 いったん拒絶されるともう説得する手段がなくなってくるので、私は、今回は、人権問題を真正面からとりあげず、「こどもと識字教育」をとりあげて説得していくことにした。人権とは、つまるところ人間にとっては、人間らしく生きていける教育を受ける権利、学べる権利が最も重要で、特に子どもにとっては基礎的な識字教育は最大の問題であったのです。それからの私は、刑務所を訪れるたびに辛抱強く教育を通じての対話を重ねるようにした。幸い最初のスポーツ用具がたいへん喜ばれたので、3回目に訪れたとき、子どもたちに「次には何がしたい?」と尋ねてみたらかれらは「将来刑務所を出るときに備えたいので、なにか技術を身につけたい」という。そのため私は、子どもたちの将来の自立のために「新聞紙を再生する紙漉きのワークショップ」を開いた。紙すきは、すでにパキスタンでは50回以上もワークショップを開催していた。これを開催したきっかけは、全

国の寺子屋学校を視察していたとき、教室の子どもたちから「コピー」を要請されたことから始まった。「コピー・・・ーコピーとはいったいなんだろうか。コピーの機械だろうか」と思案したが、教室には電気はなかった。コピーとは紙を意味し、ノートブックを意味していたのだ。子どもたちは、タクティという小さな黒板を持っていたが、「小さな黒板では文字や絵を保存できない。書くたびに、全部消してしまうから」そこで私は、ノートブックをたくさん調達しようと考えたが、「ちょっと待てよ」、と思った。魚が欲しいと言われて魚を贈呈しても長続きはしない。「魚の採りかた、養魚のしかた」を教えるとそれはいつまでも続いていく。                                                                                                     そこで私は、一回きりのノートブックを大量に手渡すよりも、紙のつくりかたを教えようと思って、ありとあらゆる植物繊維を使った紙すきを行いながら研修を行い、それを多くの人々に伝えたことがあった。その中で最も簡単なリサイクル紙のやりかたを教えようと考えた。それならば、だれでも簡単にリサイクルができるし、紙の染め方や加工の仕方でいくらでも可能性や夢は広がっていく:現金収入の道も開ける。そこで早速、新聞紙やダンボールをミキサーで粉砕してリサイクルを開始した。色とりどりの紙で漉きあがっていくのを見て、子どもたちは狂喜した。一日中彼らの歓声が刑務所内に響いていた。かれらは物をつくるということに興奮した。

こうした具体的な行動の中から、刑務所側や子どもたちとの信頼関係が次第に醸成されてきたとき、「もうあと少しで私はパキスタンを離れるが、最後になにをしたい?」と彼らに尋ねると異口同音に「本が読みたい!もっと知識や情報を学びたい」とまるで知や情報の飢餓人のように要請してきたのであった。私はそれを聞いてうなった。1998年の暮れのことであった。それは自由に想像したり思考したりすることを自由に助けてくれる本の存在だったのだ。それはそうだろう。自由な想像力は本によって創られる。刑務所内には本はあったが、しかしそれはイスラム教の聖典であるコーランだけであった。子どもたちは算数も理科も歴史も学びたい。そして物語や美しく楽しいイラストのある絵本や新聞を手にしたいと訴えてきたのであった。私はこの訴えを聞いてすぐに、刑務所長と話をした。そして新しく刑務所の中に「子ども図書館」を設置する活動を開始した。そして識字教室の設置も始めた。これは南アジアでは初めての子ども図書館の設置であったが、図書館が出来上がるまで実にいろいろの障害があったが、常に粘り強い説得を続けながら刑務所の関係者や新聞を通じて世論を変えていったのが成功の原因だった。


子ども図書館の完成


そして最初の調査から2年たった2000年の11月、パキスタンや日本のNGOの友人など約30名の個人的な協力を得てラワールピンデイ中央刑務所に収容されている子どもたち(10歳〜18歳)を対象とした子ども図書館が完成した。建設会社の協力もあり建物の全経費は50万円。絵本や物語など1500冊以上が個人や出版社から届けられた。すべてボランティアの協力であった。男の子と女の子が本を読んでいる絵看板(ロゴ)も掲げられた。この図書館はウルドー語で「太陽の光」を意味するキランという言葉をとって「キラン図書館」と命名された。太陽の光のようにすべての子どもたちに明るい光が等しく行き渡るようにという願いからである。図書館の建物は6メートル四方だから大きいものではない。

しかし建物をチェックしているとき、狭い牢獄から図書館の建物をじっと見つめている、牢獄からの大勢の子どもたちの熱い視線を背後に感じた。かれらは必死に助けを求めている。彼らは生きようとしている。そうだ、知識は本当に光になるのだと。知識や情報から無縁の世界に生きてきたこどもたち・・そのため彼らからも図書館の本の内容についてもアンケートを集めた。幸い子どもたちの3分の1は読み書きができたので、読めない子どもは読める子どもの読書を見て刺激を受けることになった。また図書館を運営するボランティアによる識字クラスの開設も計画し、無罪の子どもたちを救うために弁護士を交えた救援会も組織された。

子どもの牢獄とは、パキスタン社会の深刻な矛盾がそのまま反映されている。貧しいが故に犯罪を犯したり、無知な故に投獄されたり、家族から見放されていく子どもたちに、文字や絵や写真や職業訓練を通じて励ましていこうとする試みは、小さくてもこの社会に小さなインパクトを与え始めていた。女性刑務所や、軍政下の隣国ミャンマーにも影響を及ぼした(それについては紙幅の関係で次の機会に)。

2000年暮れ、私は3年半に及んだ専門家の仕事を終えてパキスタンを去った。そして帰国後に、東京にNGO組織である国際識字文化センター(ICLC)※を東京に設立した。

私はアディアラ刑務所のキラン図書館支援だけでもきちんと続けられたらいいと思っていたが、第2館のムルタンのキラン図書館が設置できたことで躍り上がりたいほど嬉しかった。なにかが動き始めたと感じたのである。パキスタンを動かすのは小さなことでいい。パキスタンの地で、草木から紙漉きを始めた経験でそう思った。


そして第3館のキラン図書館は、2004年に念願のファイサルバードの刑務所内に、東京外国語大学の名誉教授であった鈴木斌先生の遺贈金により設置された。鈴木先生はアディアラ刑務所に第1館が設置されたときも現地を訪れて、実際に建築中の建物について多数のご助言を下さるなど実に大きな励ましを下さったが、鈴木先生の遺志は、さらに妻の公子さん

を通じてさらに第4館のカラーシャのルンブル谷に住む少数民族の子どもたちの図書館や(これはわだ晶子さんの意志によって設置されたもので、ルンブル谷に住む子どもたちが幅広く利用している。)第5館として2007年3月に設置されたぺシャワールのキラン図書館設置にもご協力くださった。

こうして現在、パキスタンでは5館(4館は刑務所内)のキラン図書館が設置されている。毎年一回は現地を訪れて改善のための支援活動などを行っているが、子どもたちから「もしキラン図書館がなかったら僕は勉強することのおもしろさを知らなかった。いろいろの本が読めるようになって本当に嬉しい。もっともっと歴史や物語などを読みたい。知りたい。コンピューターにも初めて触った。コンピューターができるようにもなった。僕の村にはこんなものは無かった。今は人生に希望を持っている」などという反応を得ている。最も苦しい環境の中で生きてきた子どもたちが希望をもつ。なんという嬉しいことだろう。


キラン図書館の動きは、軍政下のミャンマーにも影響し、作家・ジャーナリスト協会の協力を得てヤウンチ図書館という名前で、3館が設置されている。こうした努力とは、この時代の大きな流れと変化のなかで、知識や情報や技術などの基本的な識字の力を社会の最も苦しい状況のなかで生きている子どもや女性たちを文字や言葉や絵やコンピューターなどで励ましていこうとすることを意味している。知は万人の喜びのもとであるだけに、こうした社会から阻害された子どもたちを知的なレベルから救うことは本当に必要なことだと思っている。この努力はたとえわずかでも、彼らには生きるための元気さや人間らしさを暖かさが必要で、「この社会はあなたたちを決して見捨ててはいないよ。いつもしっかり見守っているからね。元気を出すんだよ。希望をもつんだよ」という証しになるのではないかと思う。

子どもの犯罪ーそれは大人の犯罪の裏返しである。かれらは、大人に利用され、犯罪者に仕立てられていく子どもたちだけに、かれらはわずかの精神的な励ましによって、いくらでも蘇生し、いくらでも元気を取り戻す出す存在である。今5つの、キラン図書館は、パキスタン社会の絶体絶命の環境の中で生きている子どもの存在に知的な救い手をさしのべようとしている。ファイサラバードの刑務所の所長が言った言葉が忘れられない「もし刑務所の中で一人でもキラン図書館によって助けられる子どもがいれば、キラン図書館の目的は成就されるのでないか」

こどものためのキラン図書館ー知識、知恵、技術、情報・・・・
言葉、美しい絵、写真、デザイン・・・:・・・・・これは人の生き方を励ます生命の水のようなものだ。



たじましんじ

(絵本作家・国際識字文化センター代表)





※国際識字文化センター(ICLC)について

国際識字文化センターとは、21世紀の教育や文化の領域をより広く、深く、グローバルな実践を通じて世界の問題にかかわっていくことを目的として、1997年5月、5カ国(日本、インド、韓国、中国、米国)の有志によって国際NGOとして東京に設立されたものです。ICLCを担っているのは、主にアジア・太平洋地域のユネスコユニセフ・人権・環境・教育・文化などの分野で、国境を越えて幅広い実践を行ってきた専門家集団です。21世紀文明が内外から危機に瀕している現在、ICLCでは、「人間性の尊厳を確立するヒューマン・リテラシー」を確立しようと、教育・文化・コミュニケーションを通じてさまざまな活動を行っています。インドとパキスタンが共同で製作する平和絵本(4冊が出版済)、刑務所の中の子どもたちへキラン図書館の設置、心の絵地図ワークショップ開催、環境絵本の共同製作、語りと童話の夕べなど行動やネットワークは、アジア地域をはじめ全世界に広がっていますが、ICLCでは事業の拡大よりもむしろひとりひとりの豊かな生き方や「心の眼」を創ることを目的としています。