中国での大地震と原発事故を憂うるー福島の体験は叫ぶ

これは2008年5月にブログに書いたミャンマーと中国の大震災の記事です。2011年3月、日本では東北での大地震により大津波が襲来して2万人以上の死傷者が出て、福島原発では、4基もの原子炉がメルトダウンするという歴史上の大惨事になりました。そして深刻な放射能汚染が今も続いています。チェルノブイリの経験から学ぶと、放射能による影響はこれから5年後にかけて頻発するでしょう。

この文章は2008年に書いたものですが、文中にあるように、いずれの国々も大災害に対処する方策は本格的に準備しておかねばなりません。災害は忘れたころ、油断している頃に確実にやってくるのです。この文章はわずか3年前に書いたものです。驚くべき予見性ですね。

特に中国では、建設途上の原発や旧式の原発などが国中に林立しています。もし中国で原発の大事故があると、その被害は、日本海を越えて、日本全国の土地や人々は、もはやどこにも住めないほど悲惨なものとなるでしょう。予感としてその日が確実に近づいているような気がしています。また日本では、東海や関東を初め、いつ巨大な大地震が再来するのか誰にもわからないのですから、原発の再稼働などはもってのほかです。自然はたえず警告しているのです。




2008年5月記す

ミャンマーの大型サイクロンと中国四川省の大震災から、さまざまなことを学ぶ。
その第一は、震災に関しては、政治的な迅速な決定が、すべての生死を分けることだ。中でもミャンマーの軍政がとった決断(なにも行わない判断)は、世界史でも最悪のものであった。つまり”なにもしないこと、なにもさせないこと”であった。


こうしたミャンマーの悪政は、後世まで語り継がれるであろうし、これが直接的な要因となって悪名高い軍政が壊滅していくことにもなるだろう。いずれにしても、こうした軍政は国連と国際社会の圧力によって解体しなければならない。ミャンマーの最大の悲劇は、このタンシュエを頂点とする軍事政権というサイクロンだ。民主化されていない国の災害は、最も恐ろしく悲しい人災である。

それに反して、今回、中国政府がとった判断や決定は実に迅速、温家宝首相を現地にすぐに派遣して対応策をとった。これは高く評価できることだ。しかし・・・・私は今回も思う。なぜ温家宝首相はすぐに、被災地へ到着し状況を察知し、軍隊のヘリコプターをすぐ100機投入して迅速に行動を行わなかったかということだ。決定する権限はあったのだ。内外の目を気にして動くだけで・・・・・大地震から4日目となる15日になって、ようやく被災地の救援活動を加速するために、軍のヘリなど90機を追加投入するという決定をしたが、これは余りにも遅かった。ヘリの10機や20機では足らないのは、だれにでもわかっていたことだ。
数百箇所の町や村が被災地と連絡の取れず、また3000−4000メートルの山岳地の道路や幹線は、ズタズタに遮断されていたのだから・・・荒天候とはいえ、このようなときこそ、中国人民軍の登場でないといけない。一刻も早く訓練された軍隊の救助ヘリなどを最低100機は飛ばし、救助要員や水や食料や通信機器をヘリで運ばなければならなかった。4日目にして首相が決断したというには、余りにも遅いのである!

読売新聞の取材記事に、生徒ら数百名が生き埋めになった校舎のそばで、声を荒げた女性が、「捜索する警官より、周りで警備している警官が多いのはどういうことなの。混乱を気にしているのだろうけど、大事なのは子供の命でしょ」、そして家を失った被災者の男性は、「役所はほとんど倒壊せず、庶民の家ばかりが壊れた。この国は、結局、庶民はいくら死んでも構わないということなんだよ」と吐きすてるようにしゃべった声を伝えている。

また暴動の起きたチベットのちというデリケートな環境や交通が遮断されたという理由から、海外からの援助要員を迅速に受け入れを行わなかったことも、今後の大きな課題として追求されることになろう。日本を始め、ロシア、韓国、シンガポール、台湾と次々と救援隊を受け入れる方針に転換したのは、災害の規模が余りにも大きく、オリンピックを前にして海外からの援助の手を受け入れよという声が高まったからであるだろう。だが受け入れの決定は余りにも遅かった。人命の助かる時間をとっくに過ぎていた。1秒1分の遅れで尊い生命は次々に失われていった。

こうした甚大な被害を生み出す予期せぬ地球災害は、今後も頻繁に起きるであろうが、これからは各国が有している軍隊の半分は、災害用に転換するべきだ。軍隊とは人を殺すためのものであるが、軍隊は人を生かすことを学ばねばならぬ。アメリカの空母にしても、大西洋や太平洋に浮かんでいる半数の艦船を災害用に切り替え、空母の船内にたくさんの”カップラーメン”や”飲料水”や”コカコーラ”などを貯蔵することが望まれている!!!ジェット戦闘機、爆撃機、スパイ衛星などにしても、半数を平和目的に切り替えることーこれが21世紀のこれからの地球市民にとって大きな課題である。

今回の大惨事は日本にとって、すべて他山の石である。同じことが日本でも起きるのだ。そのためには日本はまず率先して、現在の自衛隊の半分を災害用に切り替えて、その自衛隊員の災害訓練を開始せよ。大地震に備え、ヘリコプターは災害用として最低500機は準備せよ。イギリスからは垂直離陸機のジェット機なども購入して、20万人以上の自衛隊員を災害救助隊員に切り替えて訓練を開始せよ。日本も今、その最大の危機に直面しているのだ。





(2008年5月16日00時37分 読売新聞)
「唐山大地震より遅い」救助作業遅れに分析報道も
四川省地震

四川省ブン川県映秀で、倒壊して大きく傾いた中学校=宮坂永史撮影 【北京=河田卓司】中国の新聞・テレビ・通信社は12日の大地震発生以来、当局・軍による救助活動を中心に大々的な“官製報道”を続けているが、ごく一部メディアに当局の救助作業などを冷静に分析した記事も出始めた。特に、独自報道で人気のある広東省の日刊紙・南方都市報には14、15の両日、「救助隊の現場入りは1976年の唐山大地震に比べても遅い」と鋭く指摘するコラムが掲載され、目を引いた。

筆者は、同紙の姉妹紙、南方週末の元副編集長で、現在は香港在住の銭剛氏。唐山地震から10年後の86年、唐山を改めて取材して回り、ドキュメンタリー「唐山大地震」をまとめたジャーナリストだ。銭氏は、まず14日のコラムでは「救助のカギは3日だ」と、生き埋めになった人々の限界点とされる72時間内の救助の重要性を強調、系統だった対応が何よりも大事だと指摘した。銭氏はその上で、「指揮する者は冷静な科学的態度を保つべきだ。……唐山地震の時のように兵士ら救助隊を徒手空拳で現場に送り込んではならない。報道用に救助隊員の命を使ってショーを演じさせては絶対にならない」とも書いた。15日付のコラムは「指揮する者は心は熱く、頭は冷たく」と題し、「現在特に必要なのは、ハイレベルの危機管理能力だ」とし、次のように提言した。

「中国は防災・減災を担う部門がばらばらで、常設の担当機構もない。指揮のレベルと効率は膨大な人々の命に直接かかわる」 「被災地内のすべてのダム、石油貯蔵施設、化学品倉庫、武器弾薬庫、土砂でふさがれた河川などを即刻、調査して危険を未然に防ぐべきだ。防疫隊を迅速に投入して作業を始めよ」

一方、14日付の中国紙・21世紀経済報道は、今回の大地震をめぐって中国政府が12日の発生直後には「国家2級災害救援応急体制」を発令したが、それを「1級」に引き上げたのは地震発生から8時間後だった、との内幕記事を掲載した。救援応急体制は四つのレベルがあり、1級は「特別重大自然災害」に適用される。地震発生時、国家防災委員会主任の回良玉副首相がウルグアイを訪問中だったため、同委副主任の民政相が「2級」と指定し各部門の連携が遅れた、と同紙は指摘した。これが事実かどうか確認できないが、中国紙が政府の対応の遅れを書くのは珍しい。