言葉というもののありかた・・・・

言葉というものは、心(こころ)であって、糞(くそ)ではない。

ただ口から掃き出せばいいというものではないからだ。

言葉とは心の表出した「かたち」ではないだろうか。

だから「心」を感じるためには、伝えるためには言葉のありようを、きちんと見つめていなければならない。言葉を創っていかなければならない。

言葉とは、行動と一致するものでなくてならない。

知行合一とは、言葉の出発点であり、到着点である。

かってボブディランが歌うフォークソングの中に、”ことば”があった。これが1960年代の若者を揺り動かしたのだ。

私はいつから”言葉”を糞(くそ)にしてしまったんだろう。

日本の少年院で、絵地図分析のワークショップを行う時に、もう一度私自身の内省が徹底して必要だと感じる。

なんのために、なぜ、ワークショップが必要か?

尾びれ華々しくつけた”言葉やことば”はいらない。
簡潔で、魂を感じられる生き方と実行力が必要なのだ。





知行合一(ちこうごういつ)は、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつ。 論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」 が元になっている。 王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じである