尖閣諸島とは日本の固有の領土なのか? この問題の真の解決のために

現在、日中間での最大の懸案である尖閣諸島問題について、1978年10月23日、中国最大の実力者で副首相であった訒小平が日中平和友好条約の批准書交換のため訪日した時、次のように話した。
「・・・・・尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。名前からして違う。確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れるとはっきり言えなくなる。こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」

こうした意味深な発言も全く考慮せず、いわゆる訒小平後の世代である日本と中国の軽薄な政治家たちが、尖閣列島をめぐって日中間の対立や憎しみを国民にぶっつけながら煽っている現状は、なんとも嘆かわしいことである。知恵のない政治家たちによって、かってない不幸や対立感情を作りだしているのだから・・・・・要するに反中国の先鋒であった前原前国交相が自分の信念で海保に命じて後先も考えずに中国船長を逮捕させて、あと急きょ釈放を命じたのだが、これが浅はかな日本の政治家の典型であることを示した。もし浅はかでないというなら、衝突した時のビデオを世界に公表したり、船長を釈放せずに最後まで起訴するのが当然であったが、中国の圧力でそこまでは出来なかった。



日本は、もともと尖閣諸島を日本固有の領土で実効支配してきたとはいうが、1885年頃は日清戦争で日本が勝利を収めた時期であり、その6年前の1879年は琉球国を滅ぼして沖縄県を設置している。尖閣列島は沖縄に属していたと見られるが、それは定かではない。また日本が現在、韓国と係争している竹島(独島)については、日韓併合の時期で、日本帝国の勃興期で植民地を中国や朝鮮半島に拡大していた時期であり、日本が領有を主張するのはかなり無理があるように思える。

こうした微妙な時期に日本が、島々の領有を宣言したのであるから、韓国・中国とも当時は、なにも言えずなにも反発もできなかったであろう。ましてやたくさんの島を有していた琉球王朝が、小さな岩礁にすぎない小島を領土として、世界に宣言するようなことがあるだろうか?しかも小島の近海の深海に莫大な海洋資源が眠っているいると誰が想像できたであろうか?

おそらく当時は中国はこうした小島の可能性はわからなかったのだろう。しかし1970年にイラク原油埋蔵量に匹敵する 海洋資源が見つかったことで、領有問題に火がついたのである。これは中国も同じで、尖閣列島は中国の領有というよりも台湾の領有として考えてられているが、台湾がどこまで尖閣列島を歴史の中で意識していたと言えるであろうか?、琉球も台湾も、沖縄や中国に課題が託されて、これまで意識していなかった島の資源の可能性に目覚めてから、初めて領有問題に火がついたのだ。


こうした歴史的背景があるだけに、韓国、中国ともに国民感情としても日本が主張する領有を絶対に彼らが受け入れる余地はないように思える。日本がこれにこだわると関係は完全に破綻するだろう。それは民族の歴史と主権に関するデリケートな事柄だからである。そして日本はそこでは侵略者であったからだ。こうしたことも十分考慮に入れながらも、日本は平和裏にしかも外交的な話し合いによってこれらの課題を解決するためには、ベトナムやフィりピンなども交えて、中国に対しては共同戦線を張りながら、中国も交えての海洋を懸命に利用する方法を模索することが最も重要ではないだろうか・・・そこまでの知恵やスキルを現在の世代が持ち合わせているであろうか。


そういう意味では、中国最大の実力者である訒小平が、その当時、領土問題の深刻さを理解しており、これは将来の世代によって、より賢明な知恵によって解決するようにと遺言したのは正しい判断であったが、日本・中国ともにまだ知恵が十分育っていない世代であったことが最大の問題ではなかろうか?

経済が海洋資源の有用性を押し出しのであるが、如何せん人間の知恵がまだ足りなかったというべきだろう。