言葉という毒矢、そして人間を蘇生させる矢

MIXIでコミュ二ティをやってみて、改めて考えてみたのですが、ネットで相互批判を行うということは、どのような課題であれ大変難しいことですね。参加者全員が匿名であるだけに(私自身もそうですが)、また匿名でないにしても、どうやって相互が言葉に責任をもって心の充実したコミュニケーションが出来るかということ・・・この大きな課題はコミュ二ティの課題である「オバマ政権」を云々する以前の問題ですが、今われわれはこの課題にぶつかっているように思えます。

それにしても現代は、膨大な活字が世界を飛び交っているのですね。これまでの歴史では、ただ話すだけでそれは時間の経過とともに忘却の中に消えていったのですが、今の時代はすべて記録になっているのです。携帯メール、チャット、ネットでのメールなどが映像や音楽を交えて、膨大なコミュニケーションが行われているのです。

これは現代の日本でもアメリカでも同様で、世界中がネットやチャットなどにおける課題とぶつかっているのですが、中には深刻な書き込みがもたらす精神的な痛手は、想像をはるかに超えて多くの人々に広がっているようですね。私自身も基本的には人を批判するタイプですが、もしこれが逆に自分自身が批判されたときには、どんな小さな言葉でも決して気持ちのいいものではありませんね。他人の批判を許さない自己がいるからです。これには自分を見つめる鏡が必要なのでしょうが、みんなそれどころではないところが、現代人の貧しさでしょう。

しかし論戦では決して妥協することなく批判は鋭く続けていきたいですね。当然ながら、ある種の節度やマナーをもって、おおらかな態度で少しの誤解も屁とも思わず、笑い飛ばしながらデクノボーのように・・・たくましくたのもしく(笑)

知っていますか?世界で一番口汚くののしられ批判されたアメリカの大統領は誰だか?

その答えはリンカーンと言われています。リンカーンは奴隷差別の撤廃などで国を二分させる戦争を行い容赦のない批判やののしりを多くの人々から浴びたそうでしたが、その攻撃から身を守るには、ただただ気にしないことだったと言います。頭にくる手紙を受け取ったときにも、その手紙にすぐに返事を書かずに引き出しに入れて一晩考えたそうです。こうやって自らの怒りの熱を冷まして冷静になったのですね。ののしりに、対して、出来ることはただ気にしないことしかないのですが、これは誰にも出来ることではないのです。 だからリンカーンという存在が出来上がったのでしょう。

現代のチャットやメールは、まるで時間が勝負のように、自分の思いや考えを感情的に赤裸々に書いてしまうために、特に子どもの世界では、書き込みが始まると大変多くの矢を体に受けて、満身創痍だろうと思います。中には犯罪に近い毒矢もあるでしょうし、中には人々を活性化させ蘇生する多くの矢もあるでしょう。ネット社会は始まったばかりで、まだ20年足らずですが、これからは信じられないほどに広がっていくことでしょう。

これは人類が新しいコミュニケーションの時代に入っているということを意味します。そのためネット社会は子どもだけでなく、大人も同じです。みんなで論じながらお互い成長していきましょう。すべては試行錯誤なのですから。

しかし忘れてはならないことは、言葉というものは(映像も絵も同じですが)、いったん口から放たれると、それはどんな言葉であれ、必ずそれはいつかは必ず自らの頭に落ちてくるということです。これを「言語の落下運動」と私は命名したのですが、つまり言葉も「重力」をもっているということです。

言葉は軽そうに見えて、実は大変重たいものなのです。人は大きな言葉よりもささいな言葉を気にして暮らしているようです。 ささいなところにこそ重大な人生の秘密が隠されているのです。それを大切にしたいものです。 (たじましんじ)