オバマ米国大統領のおばあちゃんの存在

「むかしむかし・・・・」と語っていたのは、いつもおじいちゃん、おばあちゃんであった。お父さんやお母さんではない。お父さんやお母さんは、いつも忙しく働かなければならない生産労働年齢であって、いつの時代も自分たちの子どもたちへ直接話しかける時間的余裕は十分にはない。それに反して、おじいちゃんやおばあちゃんは、孫に向けて最も有意義な時間や空間を孫たちともつことができるのだ。そうした時間をおじいちゃんやおばあちゃんと持てた存在は、幸せだ。

おじいちゃんやおばあちゃんは、40年ー50年以上の人生をほとんど終え、肉体的には死期が近いとも言える。誰しも誕生したら、成長とともに死に向かっている存在だからだ。それゆえおじいちゃん、おばあちゃんの孫のような新しい生命体に対しての愛情は余りにも深い。

今回、アメリカの大統領に選ばれたオバマ氏は、ハワイのおばあちゃんにはずいぶん可愛がられたのであろう。白人のおばあちゃんが、あらゆる知恵や愛情や経験すべてを、不遇な少年時代送ったオバマ氏に注いだのだと思う。おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に写っている高校生頃の写真を見ても、それは容易にうかがわれる。おじいちゃんとおばあちゃんの知恵や愛情や経験に勝るものはこの世の中にない!!

もちろんオバマ氏の白人の母親の愛情は大きな存在であるのは間違いないが、8月末の大統領の指名受諾演説でも、オバマ氏は「祖母は、私のために車の買い替えも新しい洋服も後回しにしてくれた。すべてをつぎ込んでくれた」と感謝の意を示している。少年時代から青年時代という多感な時期に、知恵深いおばあちゃんに育てられたことが、今日の彼の明るさや知恵深い人生を形成したのではないかと思われる。

日本では、おじいちゃんやおばあちゃんを、後期高齢者といった区別や差別で、社会での最も経験があり重要な存在を、経済的観点からのみ考えて、政策でバサバサと切り捨てようとしているのは大きな間違いである。

おじいちゃんやおばあちゃんの知恵や愛情は、保育園、幼稚園、小学校の子どもたちへ彼らの知恵や経験の循環を、システム的にもはかっていくことが最も望まれているのではないか。そのためには「我が孫、我が子」といった発想から、「すべての子どもを自分にとって大切な存在」と思う生き方が、社会的にも必要になってきているのではないかと思う。