「サカナの絵」 を描いて!

随分前のこと。気の置けない友人と喫茶店で話していたら、突然、紙とボールペンを渡されたことがある。
「魚の絵を描いてみて」
え、と眉毛を寄せたわたしに、その友人は続けた。
 「芸術的じゃなくてもいいから。30秒くらいで書けるやつを描いてよ。見ないどくから。で、描けたら裏返しにして置いて」
(できれば、ここで皆さんも魚の絵を書いてみてください)
 わたしは言われるままにペンを受け取り、魚の絵を描いた。金魚みたいな、頼りない魚。タイヤキみたい、と思った。
描けたよ、といったわたしにおもむろに友人は言った。
「質問です。○か×で答えてください」
ますます分からなくなって、首をかしげた。

 「1.描いた魚は、横から見た魚の図である。
  2.魚は、頭を左側にして描かれている。
  3.魚は、一匹である。
  4.魚は、どの種類の魚か特定できない姿をしている。
  ……さていくつ○だった?」

 「全部、丸よ」
答えると、友人はにこにこしながら、でしょう?、と言った。
 試してみると、ほとんどの人が上の四つに当てはまる魚の絵を描くのだという。
 「この時、描く魚の絵は、「絵」というより、「記号」だからだろうね」と、友人は続けた。漠然と、「さかな」と言われるとき、わたしたちは「要求されているであろうところ」の記号を描くのだろう。

布施さんは、最初に教壇に立ち、子どもたちに聞いた(そうだ)。

 「魚って知ってる?」

 もちろん、子どもたちは口々に答える。

 「魚くらい、知ってるよー!」

 そして先生は紙を取り出し、子ども達に「魚」の絵を描いてもらう。……すると、一人も違わず、みんな同じような魚を描いたのだという。

 「ねえ、皆同じような魚だねえ。」

 次の授業で、先生は子どもたちを釣りに連れ出す。大騒ぎしながら釣りをして、バケツに入れて魚を教室に持ち帰った。生きた魚を見つめる子どもたちの眼。

その後、さらに、先生は魚を解剖させる。

再び、魚の絵を描きましょう、と言われて描いた子どもたちの絵は、一枚として似たものがなかったという。
魚を釣り、解剖するという過程で、子どもたちは、それぞれにとっての「現実の」魚を手に入れたのだろうと思う。

 結局のところ、手触りのある絵とか文章は、そういうことなんだろう。何かを、自分の眼と手で感じ取ること。

 それ以来、たまにわたしも、「魚の絵を描いて?」と友人に言ってみることがあるのだが、話が盛り上がって大層楽しい。そういえば、ひとりだけ、「魚の絵」というリクエストに「エイ」の絵を描いてくれた友人がいた。紙を見て、大笑いするわたしに、「エイだって魚だろ」と、友人は平然と言ったのだった。

速水 桃子