人はなぜ学ぶのか?

今、日本の教育において、人生の体験的な知恵や技術を、小中高の教師の実体験を通じて教えられることが極めて少ない。もしこうしたことを教師が教えられないときには、広くコミュニティやNGOも参加して共同で学びの場を形成していくことが重要である。子どもたちは、意味のある授業や役に立つ授業をひたすらに待っている。

本当の学力とは、生きる現場からかけ離れた単なる知識や情報を意味しない。それは「人間力」の形成を目指したエンパワーメントにほかならない。そして、人間力とは、だれでも人生において、個性にあった豊かな知識やコミュニケーションの力を切磋琢磨から築き上げることのできる力であって、普遍性を築き上げていく”人間力”を育てることが最大の目的である。そこには喜怒哀楽をともなった”人間”についての赤裸々な人生設計の討議も必要であろう。勝ち組社会だけを賞賛したり、金銭だけで人間の価値を図ろうとする誤った資本主義社会だけを目指すものでは決して無い。

現代の日本の学力においては、哲学や目的を喪失した”学び”が広く存在している。学びに目的がないわけではない。学びの本質が魅力的ではなくつまらないのだ。つまり、なんのために学んでいるのかがわからなくなっている。子どもたちの「学力」についても、なにが子どもたちにとって必要な学びの本質なのか極めて不鮮明なままに、知識による暗記教育の強制が始まっている。杉並区が導入したような学習塾が首を長くして待っている。意味のない入試選別だけを目的とした詰め込み授業のために!

「ヒューマン・リテラシー」とは、目的を喪失した現代の日本にあって、実践の中から共同で創り上げていく人間力の形成のための精神の羅針盤の役割を果していくだろう。