メラニン混入の中国ミルク事件が意味するもの?

やはり危惧していたことが、起きてしまった。このたびの中国での粉ミルク事件は、中国国内の大手を含む粉ミルク会社22社が、牛乳に水を入れて量を増やそうとして、薄くなった牛乳のタンパク質の含有量をごまかすために、メラミンを大量に混入することによって起きていたのである。

メラニンを加えると牛乳の嫌な臭いも取れるということも流布し、なんと中国産の粉ミルクの半分に混入されていたという。腎臓結石など急性腎臓障害で死亡した乳幼児は3名、重症患者は158名、患者は6000人をはるかに超えるというが、被害は限りなく広がっており、今後10倍にも50倍にもなるのではないか。国産の半分の粉ミルクが、メラニン入りとなると、その被害は中国では天文学的な数字にのぼる。

当局はオリンピックの前から事実をつかんでいたらしが、混乱を怖れて発表をしなかった。それは餃子事件も全く同じだ。その間どれだけの人々や乳幼児が被害にあっていたことか?オリンピックの表面的な華麗さに比べて、地上での悲しみと不幸を食い止める手立てを打たない中国の政策とはいったいなにか?いくら秘密裏にことを運ぼうとしても、今回こそは不可能であったが、バングラデシュを含め海外へも多数輸出していたというから、恐ろしい。乳幼児の様態が急激に変化しても、だれもそれが粉ミルクから発生したとは思わない。

これらの背景は、すべて利益中心主義の非情なる政策がすみずみまで行き渡っている結果とも言えようが、これは粉ミルクに限らず、あらゆる環境問題にしても想像するにも恐ろしい事態が進行しているのではないかと思える。
中国では当局に対する批判は許されておらず、いわゆる「クリティカル・シンキング」(批判的思考)というものが全く育っていない。共産党による一党独裁体制の維持は、反対派を抑えあらゆる批判を完全に封じて、成り立つと信じられている。これがそもそもの間違いだ。

今回の粉ミルク事件は、些細な始まりに過ぎない。ソ連の体制で起きたチェルノブイリ原発の事故が、ソ連という体制を瓦解させる始まりとなったように、こうした事件が頻繁に発生することによって、中国の1党独裁体制は大きく揺るぎ始めていくだろう。人々はイデオロギーでがんじがらめにされた伝統的な思考から、生活とか家族といった価値への大きな転換をはかっているいる最中で、特に戦争などを体験していない若い世代は国づくりにはそうとうに柔軟に対処していくだろう。

北京オリンピックの華麗さの演出は、国家の偉大さを若い世代に見せつけようとも企画されたような気がするが、国家の偉大さに比べて、地上では無数の粉ミルク事件が起きていることに、若い世代が反発して、イデオロギーを超えた国づくりを目指すのは時間の問題であろう。今回の粉ミルク事件で、人々は体制に対して”表現することの自由”や”批判する自由”を得たのではないか。それは土地の強制収用や汚職まみれの官僚たちの不正に異議申し立てに批判する権利も息を吹き返してきているのではないか?

中国の多数の原発にしても、その廃棄物はどのように処理されているのか?今後100基もの原発が増設されるというが、人々の住的環境はどのように守られているのか?すべて廃棄物はチベット高原に埋設しようとでもするのであろうか?揚子江黄河に垂れ流しになっている極度に汚染された大量の水は、日本海をどのように変容させているのであろうか?

中国には早急に、「自由な意思で批判的思考を実践できる非政府団体(NGO)」の設立がなによりも急務である。これは中国の分裂を画するものではなく、中国がより幸せな繁栄をたどるために必要なステップなのである。