生涯を清く
書類の整理をしていたら、小学校の卒業時、校長先生が、私の思い出のノートにはなむけの言葉を書いて下さっていたのが見つかった。それを改めて読みかえしてみると、それは私を小学校の6年生というよりも、人間としての人格を認めたような、実に格調高い言葉で書かれているもので、これを読んで私は大変驚き、大変感激もした。このような校長先生が地域にはおられたのだ。先生のこうした言葉にどれだけ私は励まされてきたことか・・・・・・・・」・
生涯を清く
「われわれの一生は、二度と繰り返さないたった一回きりの一生だから、大事にしてよごさずに清く送りたい。男子の本懐としては、その上にできることなら、何かこの世にプラスして死にたいものだ。生がいに・・・・・・
純真なる田島君、元気でしっかりやってください。お父さんもお母さんも君のことを心配して将来の成功発展を祈って居られるから、そのことも忘れてはなりません。君の小学校の卒業を祝して 加場尚(ひさし)」と綴られてあった。
この加場先生という人は、地域では大変な尊敬を集めた教育者として知られていたが、私が忘れられないのは、この先生は、早朝からいつも1人で学校の脇の汚い溝川(どぶがわ)に入って、黙々と掃除をされている姿だった。それはとても校長先生という姿格好ではなかっので、なんの挨拶もせずにみんな知らないふりをして通り過ぎていた。しかし、こども心には、「教育者とはどういうものか」心の奥深くで、いつも気になっていたような気がするのです。