パチンコ・アテネのソクラテス
東横線の自由が丘の駅前に小さなパチンコ店があった。今もそれがあるかどうかはよく知らないが、とにかくそのパチンコ店の名称は、アテネといった。パチンコーアテネ・・・・私はその名称がひどく気にいった。
ある雨の日、ふと覗いてみたら、客が少なかったので入ってみた。パチンコ店は、通常繁盛しているところや混み入っているところほど客の入りはいい。たくさん客がいないと、この店は当たりが少ないのではと敬遠される。私は、この日は当たり外れはどうでもよかった。とにかく気がむしゃくしゃして、丸い玉を転がしたかっただけだ。
ところが、びっくりしたのは、私の隣の台にどこかで見かけたような風貌。彼は日本人ではない。外国人の顔。ええと待てよ。この顔はどこかで見たようなことがある。そう言えば、彼はギリシャの哲人ソクラテスと同じような風貌をした老人・・・・しかし、なぜそのような男がパチンコ台に向かって、真剣な対話でもするかのように、玉をうっている。一心不乱。ハハハハハハハハ・・馬鹿も休み休み言え!なぜソクラテスが自由が丘のパチンコ屋に現れる・・・・とは思っては見たものの、横顔は正真正銘のソクラテスに見える」
しかし私がソクラテスを知っていると言っても、それは高校時代に美術部に属し、石膏で作られたソクラテス像をデッサンしたに過ぎないものだから疑わしい。だが、その男はまるでタイムカプセルから抜け出してきたようだ?鼻といい目元といい。いいや、待てよ、路上生活者とも言えなくもない・・・・ときどき新宿界隈で見かけたような。いいや、ギリシャのソクラテスだって、昔アテネを歩き回って青年に声をかけていたときには、路上生活者となんら変わりはない。そうだ。本物のソクラテスだ。」
私は彼の風貌に妙に興味を持ったので、隣に座ってときどき彼の様子を観察しながら、玉をうつことにした。するとなんとソクラテスの台は、今や大当たり。ソクラテスは、我を忘れたように恍惚の表情で玉をうっている。没我というやつだ。「海底マリーン」という台で、海の中のいろいろの生き物―タコやイルカやサメなど海の生物が。絵柄にもよるが3匹が同じ一列に揃うと大当たりなのであるが、彼はたどたどしい手つきながら大当たりの連続をとっている。嬉しいに違いない。彼の背後には、パチンコの玉が入った10箱が積まれている。一箱が5千円ぐらいに相当するから、5万円、きっと嬉しいに違いない。
私は驚いて、思わず声をかけた。
「ひょっとしてソクラテスさんですか?ギリシャからきたのですか?」 すると彼は何も言わずに、ただこっくりと頷いた。 聞く方も聞く方なら、答える方も答える方である。つまり3千年も4千年もの昔から、どうやって来るというのだ。しかし私はいつものように質面攻めにする。哲学者が本物かどうかは、質問攻めするに限る。必ずボロを出すからだ。
「ちょっと「お聞きします。ギリシャの有名な大哲学者が、どうして日本の騒々しいパチンコに、ハマったりするんですか?あなたのお仕事はなにですか?通りには、アテネの昔と同じように、生き方や人生の道を失った青年たちがあふれ返っています。彼らと人生の道について問答したりしないのですか?」
断っておくがこれらの会話を、私は全部ギリシャ語で行った。私はかって大学院でギリシャ文学を専攻していたから、アルファー、ベーター、イプシロンといったギリシャ語のアルファベットの他には日常のことならだいたい会話ができた。すると彼は私の方を向いて、丁寧に答えた。
「そういうことには、ここで答えたくはない。質問するにも答えるにも、時と場所というものがあるのは、お主も知っているだろう。特にパチンコは、自由に楽しみたいからね。ただ私も知己がほしいから、答えるが・・・・・実はお主も知っての通り、ギリシャ経済がひどく傾いてしまってね。ひどいインフレなんだよ。わしら古代の哲学者たちも国家に呼び出されてね。世界中で稼ぎまくっているんだよ。わしは、大地震や大津波で被災した日本に興味をもってやってきたがね。福島へ行く途中、東京で見つけたのはパチンコ。・・・・・・それにしてもパチンコにハマルと大変だね。」
と答えたあと、目を細めてこう付け加えた。
「おもしろいもんだね。勝っているときのパチンコ・・・・・・・だけど負けが続くとこれだけ悲惨なものはない。」
彼は連勝していたので、受け答えに十分な余裕があったのだ。
「でもソクラテスさん!パチンコのどこがおもしろいですか?」
「それは、みんなと同じだよ。おもしろいのは、3つの絵がぴったり重なったときだね。大当たり・・・その瞬間、音楽が高らかになって、鉄の小さな玉が1500個も転がり出てくる。その快感には酔いしれる。これは今日の稼ぎに直結しているからね。それにしても、どの台に座るかによって運命が変わってくるんだね。運・不運が紙一重の毎日、パチンコ台の研究が必要なのかね? お主?」
「それは当然でしょうね・・・・・ソクラテスさん、あなたは、これまでずっと勝ち続けているのですか?」
「とんでもない。ハハハハハハ、昨日までわしは、ずっと負け続けて・・つまり最初は強運だったようだが、その後はまあ、言うにもなんだが無茶苦茶に負けて、ギリシャへ帰る飛行機賃も、生活費もなにもかも全部失くした。これはパチンコ台の背後で、きっと誰かが操作しているのだね。私は日本のパチンコとはどういうものか、見極めたいと思って夢中になっただけなのに」
「・・・で、どうでした?」
「おもしろいけど大変だ。パチンコは楽しいが、大変悲惨な気分になるね。ミイラ取りがミイラになったような感じ。この快感にハマルと・・・・中毒にかかったみたいになって、チンジャラチンジャラチンジャラとい音の快感から抜け出せなくなっていく。四六時中だ。これはどういうことだ。東京の駅前はみんなパチンコ屋が占拠している。これでは、まるで目には見えないアリ地獄の世界だ。オジサンもオバサンも、若きも年寄りも、だれもかれもが毎日ここにやってきている。非情な世界だね。みたまえ!パチンコで楽しむ人々の表情!みんな息をしているのに、まるでみんな死んでいるようだね。表情がない。彼らは、明日があるようで全くない。」
店内が余りにも騒がしいので、彼の声は、きちんとよく聞えなかったが、大体そのようなことをしゃべっていた。そして再び質問してきた。
「・・・・ところで日本人は、いつからこのようなものをやるようになったのかね?」
まるで医者が患者に質問するような調子だ。
「よく知りません。ずっと前からありましたね。僕が子どもの時からですよ。もっとも以前は電動ではない時代、ひとつひとつ手でパチンコ玉を打っていて、のんびりしていたそうです。」
「そうか、パチンコはすごいね。あっと言う間に一万円札が消えていく。ギリシャから持ってきたわずかの金貨もすぐに無くなったよ。儲けたと思っても、直ぐに消えてしまう。それを取り返そうと思うと、確実に10倍は負けるね」
「そうです。一万円札なんて、あっという間に消えていきます。にっちもさっちも行かなくなった人々が大勢します。遊んでいるときにはお金と言う感覚はありませんから、でも店の外に出ると一万円は本物の一万円のお金ですから、みんな借金がどんどん膨らんでいきます。見てください。東横線沿いの消費者金融の看板。お金が無くなってくると、みんなあそこに駆け込むのです。」
「なるほどね。それでみんな借金を返せる見通しがあるのかね?」
「ハハハハハ・・・見通しなんか、あるはずがないじゃあないですか」
「じゃあ、どうするんだね。返済できなくなった者たちは?」
「みんな破産ですよ。破産・・・・日本では今、破産者がどんどん増加しているのです」
「破産してどうやって生きていくのかね?」
「それはよく知りません。本当に困った人は、それは痛ましいですよ。いつも電車が急停車する人身事故です。地下鉄はいつも停っています。かなりの部分が犠牲者です。・」
「・・・・・・・なるほど。日本と言うのは、非情な社会だね。刺激と悲劇が交差している。快楽と地獄が同居しているんだね。この政府はパチンコを野放しにしているのかね。原発も野放しにして大変な目にあったという話を聞いたことがあるがね。そういえば昔、アテネにも、パチンコとは異なるが、やはりギャンブルはあったね。刺激を求めて悲喜劇を繰り返すのはどこの世界も同じ。それにギャンブルでは、いつも丸い玉を使っている。あれはおもしろい。」
「そうです。パチンコの丸い鉄玉は自由に転がりますからね。人間は丸いものが大好きなんですよ。みんなが喜ぶゴルフ、野球、サッカー、卓球、ビリーヤード、ピンポンなど球技はみんなそうですよ。要するに玉転がしが大好きな動物ですね」
「そうだね。丸い玉はどのような変化も作れるからね。この変化に人間という動物が取り憑かれたのも無理はない。君はフンころがしという昆虫を知っているかね。彼らは、自分の丸いフンを転がして生活している。エジプトでは、フンころがしのことをスカラベといってね、お守りにしいていたそうだよ。太陽が動く姿に見えたとかいって。・・・・・ハハハハハハ フンは汚いと思うだろ。そうではないね。実際のところ、生き物は、どこかで自分のフンを食べて大きくなっているんだよ。君だってそうだ。動物はみんなフンのかたまりみたいなものだ。ハハハハハハ」
「・・・・そのようですね。化学肥料を使っていなかった時代は、人糞(じんぷん)を田畑に蒔いて、人糞で育った野菜などを食べていたそうです。江戸時代、農家の人々は、野菜を町の人々に売って、帰りには人糞をもらって帰っていたそうです。臭い話ですが・・・・昔は、おじいさんもよくやっていたそうです。」
「そうだね。そういうのが一番健康的なやりかただけど。フンころがしはね。フンを玉にして巣穴に運び入れて、その中に自分の卵を産み付けるんだよ。フンころがしの幼虫は、みんなそれを食べて大きくなる。」
「なんとなくパチンコとダブってみえますね」
「表面的にはね、ダブって見えるが実が全く違う。糞ことがしは、パチンコのような刺激はない世界だよ。ただ一生涯フンをころがして生きるために働くだけだ。あの生き生きとしたフンころがしの表情を見たまえ!パチンコにハマった人間の表情とはずいぶん違う」
「そうですね。」
「つまり、大きな刺激もない代わりに、大きな悲劇もない」
「そう。刺激と悲劇が隣り合わせになっている今の日本は、みんなそうなっている。パチンコにはまったあの快感がね。 おばさんやおじさんたちの無限の不快を誕生させているんだよ」と言ったその瞬間、おもむろにソクラテスは、パチンコ台から手を離すと
「ギャンブルと言うのは、そこにはプロセスというものがない。汗を流したり、体を動かしたりせず、金だけで遊んでいる。」
と思いつめたような表情で言った。
「そうです。今の日本は、みんなそうなっているのです。株や債権という世界もそうです。」
「そういうことか。困ったね。弱ったね。私も、そろそろ経済の傾いたアテネに帰らないと。アテネでは、私は汗して働くよ。しかしどうしても帰りの旅費が稼げない。困ったことじゃ」とソクラテスは困惑したように言った。
彼の足元に、さきほどまで10箱あったパチンコの箱は空になっていた。ソクラテスは大負けしたのだ。話しかけたために、かれはパチンコには集中できなかったのだ。
「すみません。お忙しいときに、大変なご迷惑をかけて・・・・」
ソクラテスは黙って苦笑していた。
私は「アディオ」とギリシャ語で、ソクラテスにさよならを言った。そして、パチンコ・アテネを後にした。私も大負けだった。
もう雨は止み、自由が丘の駅の周辺は勤め帰りの人々で賑わっていた。それから以後、二度と彼の姿を目にしたことはなかった。
不幸なる人々は、さらに不幸な人々によって慰められる(イソップ)
(C)Heinrich Boyan 2012