アジアの教育と文化の原点を求めての人生の旅

Q: 世界を舞台に、生きた教育のあり方を求めて、あなたは世界中で独創的な人間啓発活動を行ってきました。既成のレールからは決して生まれてこない、きわめてユニークな仕事の数々の話をうかがっていると、新しい人間の可能性が見えてくるような気がするのですが、「日本の子供たちの目は生きていない。欲望の海のような社会の中で、深く傷つき目的も持てずにあてもない漂流を続けている。」とあなたは言っていますが、今、日本では子どもたちへの教育に、どのようなことをやっておられますか?


A: 現在、子どもたちに絵地図分析という自己分析を試みています。これは実際のワークショップを体験しないと詳しくは説明できませんが、刺激的なお話をした後、子どもたちに小さなグループな中で、課題について話し合いを行なってもらいます。そして小さい短冊をたくさん用意して、そこに自分の気になること、すべてをどんどん書いていきます。欲しいもの、やりたいこと、行きたい場所、悩み事、自分の長所短所、家族や友だちのこと、だれにもしゃべれない秘密のこと。なんでも思いつく端から書いていって、それを種類別にグループ化していきます。それなまるで小さな島や大きな島が散らばっている地図のように見えます。さらにその余白にイラストや道や矢印など思い思いに書き込んでいって、人生の地図−つまり自分の過去、現在、未来を示す心の地図を作るんです。



この絵地図分析は、子どもたちの無意識世界の問題も含め内面へ向けての旅の始まりを自分で創っていくことを促します。自分の頭の中にある観念の地図は解きほぐすこともできないぐらい複雑にからんでいますから、これを外の世界で自由に解き放ちもう一度自由に再構成することが重要なのです。そしてそれをみんなで分析して、アクションプランをつくっていく参加型のとても創造的なワークショップです。この原型は、ユネスコ時代に生み出したのですが、本格的な活動は、ICLC国際識字文化センターというNGOを設立してからですね。日本ではもちろん、インド、パキスタン、中国、ミャンマー、韓国などいろいろの地域で開始しています。

このやりかたとは、つまり自分自身を客観視する視点を持つことですね。窓ガラスに当たってバタバタもがいているハエのように、子どもも大人もなにかにつきあたったときにはその世界の中でしか生きることができない。少し離れて自分の置かれているところを見れば広々とした自由な時間や空間が無限にあり脱出口がいくらでもあるにもかかわらず、すぐに地に落ち、絶望してていく。子どもたちのうつろな目はそれを示しています。子どもたちが早くから自立するためにも内側から自分の道を発見していく必要があるのです。今の時代は一切れのパンでも与え方によって十二分に子どもたちを救えると思うのです。
Q: あなたは、学生時代はどのように過ごされましたか?

A: 私は学生時代に、友人の中林信博と一緒に、静岡県三島市にある龍沢寺という禅寺に座禅を組みに行ったことがあります。参禅に訪れた時刻が夕方だったので、応対に出た若い僧侶が受付で不満的に「こんな夕方、参禅にやってきて誰が受付できるものですか。帰らっしゃい!今日は、受け付けない。三島の町でも泊って出直してきたらどうか。金がなくばくれてやるが・・・」と横柄な口ぶりで答えました。そこで、友人とがっかりして帰ろうとしたとき、玄関先で声がしたのです。「よしよし、座るのは寺でなくともよい!よしよし、わがぼろ家に来て酒を飲め!悟りはどこにでもある」と60歳前後の不思議な人が現れたのです。そして朝まで彼の家で酒を飲みながら人生の体験話を聞いたのでした。彼の名前は高村幸平。知る人ぞ知る存在で、氏の語る世界は人間の自然の世界から宇宙、そして人間関係の細かなことにで及び、いちいち話しが驚くべき内容でした。人との出会いとは不思議なものです。

それから、1年間ドイツに遊学して基礎教育について学んだり、陸路でシルクロードを経て、2年間インドのタゴール国際大学に行ったりしたのですが、私の学生時代、龍沢寺の高村幸平さんに出会ったのはとても大きな運命とも言えるものでした。現在の生き方や社会のありかたに激しい怒りを感じたのです。人はこうした高揚した回心の感動を理屈で言ってもなかなか納得してくれないものです。

高村幸平さんは、常に「殺すのではなく 生かすことだー生きるとは他の存在を活かすこと、むかんじょうの心のもととは自然であるとー具体的な事例をもとに一昼夜話されました。どれぐらいお酒も飲んだことでしょう。龍沢寺とは臨済宗の中興の祖と称される白隠禅僧が開祖され、山本玄峰(1866−1961)などの禅僧が引き継いできた日本の名刹ですが、私自身は、高村幸平さんによって開眼させられたように思うのです。彼は玄峰老子の話をたびたびされながら、彼自身の人生の現場を見せて下さった禅僧であったのです。

次の朝、起きたとき、私は不思議な感覚に襲われたのです。これまでは私は、いろいろの欲求を人一倍「持ちたい!」と思っていた意識が「持たない」という意識へ、なにものかに「なりたい!」と思っていた強い欲求から「ならない」という意識に変化していたことを感じて、まるで電光に打たれたような不思議な感じがしたのです。回心とも悟りともいうような瞬間でした。初めは、当時在籍していた大学の大隈講堂で「現代学問破壊講座」などという講座を開いてしゃべったものの、なかなか意が通じない。そこでそこでなんとわかってもらう方法はないかと考えた結果、図書館に篭って、だれにもわかりやすい現代の寓話という方法で動物を主人公に創作物語を書き始めてみたのです。これが創作を始めた最初です。


編集者Q : あなたの活動は大変広範囲にわたっていますが、その原点と中心は、南アジアのパキスタンやインドですね。なぜそういう地域を選ばれたのですか?

A: 私は学生時代、インドのブッダやロビンドナルド・タゴールの哲学や思想に憧れて、いつかインドへ行ってみようと夢見ていました。早大に在学していたとき、タゴール研究者の我妻和男先生から、シャンティ二ケタンのタゴール大学への留学推薦を受け留学したのですが、それが南アジアとのかかわりの始まりです。2年間のインドのシャンティ二ケタンでの遊学生活はとても想像力のある刺激的なものでした。寓話の”さばくのきょうりゅう”や”雲の夢想碌”などの作品は、その頃に創作したものです。


インドから帰国すると、それからACCUの識字教育の仕事などで働きましたが、これまで20年以上、アジア、太平洋諸国、アフリカなど30カ国くらいをまわりました。インド、パキスタン、ネパール、アフガニスタンバングラデシュなど南アジア地域が、教育問題でも圧倒的に多かったですね。これはやはりこの地域は、識字率が一番低く、基礎教育の重大な問題や貧富の差が集中しているということも関係していたように思います。そして同時に、この地域は文化が最も豊かな地域とも言えますね。インドなど南アジアから学んだことはとても大きいです。

Q:1997年からのパキスタン滞在中での活動について詳しくお話ください。

A: パキスタンには3年半(1997−2000)、パキスタン政府の首相識字委員会へアドバイザーとして、国際協力機構(JICA)の識字教育の専門家として行ったときに、カシミール紛争や原爆実験や政変などさまざまな出来事にぶつかりました。そのとき偶然に、パキスタンのたくさんの子供たちが刑務所に収監されていることを知りました。どこの国でもそうですが、刑務所とは、その社会の矛盾や問題点が集中しているところです。冤罪、貧困による盗み、傷害、麻薬運び、殺人。子供たち自身が犯罪を犯すというよりも、大人たちが犯罪を行ってそれを子供たちに押し付けて監獄に入れているのが実態です。アフリカや中東でも世界中の子どもたちはいつも大人に利用され、犯罪に加担させられ、幼くして兵隊としても戦場に送られるように訓練を受けるのです。子供は無力です。大人社会には異議申し立てが出来ません。意味もわからずに犯罪を犯し、武器を持たされたまま非情な戦場へと送られている。この現実にパキスタンでぶつかったわけです。

こうした子どもたちの自立になにができるか、パキスタンの刑務所を訪問した後にいろいろ考えました。人権を振りかざしてもすぐに刑務所側はシャットアウトすることが考えられるので、まず初めに育ち盛りの子どもたちを冷たく狭く暗い牢獄から外に出し、外の太陽の光のもとで身体を鍛えるために、クリケットやバドミントンなどスポーツ用具を贈り外で遊ばせたいと刑務所長に頼みました。所長も喜び、子供たちもとても喜びました。それから彼らにさらに要望を聞くと、外の世界のことを知りたいので本が読みたいというのです。それは当然のことですね。閉ざされた壁の中でひたすらに外の世界や彼らの人生の情報に飢えているんです。そのため刑務所内に子ども図書館を作ろうと決め、いろんな方面の協力を得て太陽の光(キランと言う名前)という名前の図書館を作りました。これは大きな刺激を子どもたちに与えたようです。閉ざされた世界では想像力を刺激する知識や情報が必要ですね。特に子どもたちは!文字を通じての想像の中で未来を考え出す力を本の中から学び取っていくというのです。



この図書館が2000年に第1号となり、第2号がパンジャブ州の砂漠地帯にあるムルタンという町にある女性刑務所第3号がファイサラバード、第4号がペシャワールの刑務所のの中に作られました。こうした活動は、ACCUやJICAを辞めて、2001年から新たに設立した国際識字文化センター(ICLC)で行いました。既存の組織では、社会で最も必要とされているような活動には関心はありませんからね。

ムルタンの刑務所とは、女性が300人も収監されていたところですが、刑法は女性に対して非常に差別的なところがあり、たとえば強姦罪の立証には四人の証人が必要で、四人そろわないと逆に被害者の女性が罪人として捕まって監獄に入れられてしまうということがあり、女性の囚人のうち半分を占めていたのです。そして第5号は、少数民族のカラーシャの村で、写真家のわだ晶子さんのコミュニティ活動に協力して、カラーシャの子どものキラン図書館も設置されました。このような活動をさまざまに行いました。

Q: あなたはアジアの農村地域で手漉き紙を作り出す技術を独力であみ出し、パキスタン少数民族や農村の女性やNGOなどを対象にその技術を広めたり、またNGOに依頼されてラオスやタイの難民キャンプでもその技術を伝えてきましたね。実際に作った紙を見せてもらいましたが、少しごわごわしているがいかにも手作りの感じのする素朴な手漉き紙でした。手漉き紙というプロジェクトを始めたきっかけとはなんだったのでしょう?

A: パキスタンで、私が担当したノンフォーマル教育というのは、普通(フォーマル)の学校へ行けない貧しい子どもたちが行っている寺子屋式の学校のことです。1998年頃にパキスタンにはこうした寺子屋式の学校が4000校ぐらいありまして、村の5歳から10歳くらいの子供を青空教室や軒下のクラスに集めて、村の女性が教師となって教えていました。あるとき僻地の学校に行ったとき、生徒たちに「どのような教材が欲しい?」と聞くと口々に「コピー、コピー」と言って求めてくるんです。最初、コピー機が欲しいのかなと思いましたが、違いました。向こうで「コピー」というとそれは「ノートブック」のことなんですね。なぜ子どもたちはノートが欲しいのかと。

そこで私は子どもたちに「みんなタクティやスレートという小さな黒板をもっているじゃない」と問うと、子どもたちはいっせいに「それでは記録できできない!消えてしまう」と答えたのです。それを聞いて私は、頭をガツンと殴られたような気がしました。子どもたちは、みんな記録するためにノートブックを求めていたのです。学校に入って、1年生とか2年生とかの低学年では、通常「タクティ」と呼ばれる石盤を使って、書いては消しして勉強しています。それは本当に役立ちます。しかしそれだと文字はすぐに消えてしまって後に残らない。

文字というのは情報を貯蔵するためのものですから、残らなければ意味がないのです。作文を書いても、絵を描いてもすぐにみんな消さねばならません。そして先生に見てもらっても、全部消さないと次に進めないのですから。それを聞いて、そこで私はNGOなどの協力を得て、彼らにノートブックを与えたいと思いました。しかし・・・・お金を使ってノートを贈っても、需要数から言ってもすぐに無くなってしまいますから、全く継続はできません。

そこで、彼ら自身の力で紙が作れないかと考えたのです。魚が欲しいというと、すぐに魚の缶詰を送るという協力ではなく、「養魚の仕方を教える」と、それならばいつまでも続く・・・・そう思ったのです。彼ら自身の手で紙が作れるように、植物繊維や新聞紙から紙を作る技法を日本やインドなどでの体験をもとに自己流で研究してみました。

その結果、バナナの幹、ススキ、わら、サトウキビの絞りカス、笹、雑草などおよそどんな植物からでも紙が作れるようになりました。そこで60回ぐらいパキスタンの全国でワークショップをやって作り方を演じるとみんな面白がって、どんどん技術が広がっていき、自分たちの手で紙が作れるようになりました。アフガニスタンの近くの少数民族のカラーシャの人々はその手漉き紙に家畜や生活の絵を描いてそれで村づくりのための収入向上にあてました。幼い子どもの性的虐待を阻止しようという「サヒルの会」というNGOは、この紙漉きを本格的な収入源とするために非常に質の高いハンディクラフトを作り始めていきました。嬉しかったですね。

http://tajimashinji.at.webry.info/200809/article_2.html

自分の手による創意工夫で暮らしをたくましく作るのが人間の文化の原点であることを考えると、パキスタンの農村の実態は、今もとても過酷な環境ともいえるものです。土地所有制度はいまだにイギリスの植民地政策を引き継いでいて封建的な地主制です。ですから地主層は基本的に人々が教育で力をつけることを極度に嫌っているのです。その土地に縛りつけておとなしく労働させておくには余計な知恵や知識はつけさせないほうがいい、学校があると彼らの土地所有に都合が悪いと考える支配層が少なくないですから、「雑草を利用した紙作りから人々の意識を変えていく」そのような教育戦略を考えたのが、紙すきの考え方でした。教育の結果はだれの目にも見せて確信させることが必要だと思いましたね。


Q: どのような物語を書いたのですか?

A: はじめに書いたのは「大亀ガウディの海」という物語です。水族館に長年閉じ込められていた一匹の大海亀が、故郷の海を恋しく思い、策を弄して脱出して元の海に戻ってみたら、そこにはすでに美しい海ではなく、核実験や原発汚染で醜く汚れてしまった海だった。生きるための自然の中での大亀の冒険が始まる、云々といった話です。イラン、タイ、韓国、ベトナムバングラデシュなど16カ国の言葉に訳されました。
http://tajimaiclc.at.webry.info/200512/article_13.html

また人間の「ことばと手」が作り出した争いに巻き込まれていった宇宙のかなたの「ビックリ星の伝説」。山を破壊されたキツネが人間のサラリーマン社会にあこがれ、毛皮会社で働いているうちに、出世のために鉄砲をかかえて故郷の森に向かっていく「コンキチ」、そして大空を流れる「雲がつれづれ語った物語」などいろいろな寓話を書きました。これらはアジアの子どもたちに向けたメーッセージだったのです。

大変幸運にも、アジアのほとんどの国で、これらの物語は翻訳出版されていきました。こうした仕事が縁で多数のアジア・アフリカの創作者とも知り合いになりましたが、国境を越えて共通しているのは、みんな「創作活動を通じて生きることの喜びや、痛み、苦しみなどを、ユーモアを交えた感動で、どのように子どもたちに伝えていくか」と思って活躍していたことです。

Q: 現代の教育の課題とはなんでしょう?


A: そうですね。現代の一番の問題は、人の物的な欲望が無限に拡大していることです。そして誰にもこの拡大を食い止めることができないということですね。その中でも最も象徴的なものが、原爆と原発です。これは同じ核文明という根をもつ近代文明が生み出した人間の深刻な病ですね。人間はこれによって、新しい文明を開拓したように見えますが、実はこれは最も悲惨な人類の欲望のかたちを表現したものです。地球上の生物は、これによって何十万年も傷つきます。

古代ギリシャでは、欲望を抑制し、智恵を生みだすことが知恵とも呼ばれ、ソクラテス仏陀にしても人間存在の根本的な課題でした。しかし人間は欲望と欲求の塊ですからね。特に現代の強欲的な資本主義社会では、だれでも自由にしかも無限に欲望や欲求を拡大させ、幸福をつかもうとする志向が余りにも強く、抑制や創造を重要な価値として意識する面が非常に希薄になっています。その最大のものは原発のような存在ですね。目前のエネルギーを生み出すように見えながら、地球の未来を、高濃度の放射性廃棄物で埋め尽くしています。ここには、エネルギーを必要とする社会を求めながらも、徹頭徹尾、お金と物の快楽世界を希求している世界があります。そこでは普遍的な人間の想像力や文化の力が働いていないのです。


この前、都内の小学校で絵地図の授業をやったとき、子どもたちの多くは「お金の獲得と世界制覇」を最大の関心事として描いていました。まるで今のアメリカに象徴される世界制覇や、それを追随しようとするイメージの貧しい現代日本を想起させるものでした。子どもの絵地図をみると彼らが文明の絶壁にたっているのがよくわかります。ムンクの作品にある叫びとは、21世紀を生きている子どもたちの姿なのでしょう。

友人は、イラクアフガニスタン戦争は、100年戦争の始まりになると言っていましたが、人類という種は悲しいかな、石油というエネルギー利権などを目の前にして発狂し、文明の絶壁に追い詰められているような感じがしています。自爆テロとはただ単にイラクアフガニスタンだけでなく、世界中の子どもたちの心の中で大炸裂し始めているのを知らないのですね。21世紀とは、豊かな物がたくさ集るように見えますが、内実は凄惨で、不安定な暗い時代が始まるような予感がしています。人類が生き延びるためには、人間を生かす優しい智恵や発想が必要なときです。

それには人間のこれまでの現実をよく見つめ、偏狭な宗教や民族や利害などの壁を越えてすべての人の心の中に明るい灯をともしていく人間力を高める実践を個人個人が確立していくことです。それはあらゆる「存在の心の中」に灯をともしていくことではないかと思います。そしてそのその火に発火するためには、自らが燃焼するしかありません」中でも特に大事な点は、人間としての感受性や包容力、あるいは寛容な心と力をもつ「自己実現」を目指すことですね。

人生というものはもともとはなんの価値もなく、そこにどのように自分なりの人生の意味づけをしていくか。ということです。理論やコンピューターの世界に閉じこもるのではなく、あくまでも現実の生々しい現場で格闘すること。そのためには時には、コンピューターの世界を離れ、現実世界に飛び出していかねばなりません。現実世界で激しく試行錯誤することによって人はよく学んでいけると思うのです。知識や情報は重要ですが、実際の行動がはるかに重要です。現実世界には無限の方法論がひそんでいますから、自分たちなりに工夫して組み立て、「人間の生きる環境」をよりよくしていくこと。そうやって生きる姿勢が人間関係でも、国際関係でも最大の基本ではないかと思うのです。
21世紀に一番大切な創造の意味は「対立する他人の心に火をともすことができるか」―人間が救われていく道はそこにあるのではないかと私は考えています。最も古くて最も新しい課題ですね。



(アジアウエーブ編集者のインタビューに加筆(2004.8月号 )