広島から福島へーなぜ「大亀ガウディの海」を執筆したのか?


1954年3月に第五福竜丸という静岡の漁船が、太平洋のビキニ環礁沖で行われたアメリカの水爆実験で、23人の乗組員全員が被爆し死傷するという事件があった。原爆で被爆した漁船員の姿、原爆マグロを、小学校の「光の教室」という巡回映画でも見て、当時小学校1年生とはいえ大変大きなショックを受けたのだが、それは9年前に広島に投下された原子爆弾と重なってみえたからだ。

私が生まれたのは、広島市から60キロ離れた三次という町、幼少の頃よりヒロシマ原爆の恐怖や悲惨な話を親戚や被爆体験者などから聞いて育った世代だ。原爆で被災された人々の救出に向かった近所の人々は、原爆の残存放射能被爆していた。こうした体験が下地にあっただけに、原爆によって、漁民が死傷したり、被爆したマグロが大量に廃棄されたというニュースは、大きなショックを幼心に強烈に植え付けたものであった。

大人が感じる不安以上に、子どもは柔らかくまるでスポンジが水を吸収するように、すべてを吸収しているのです。喜びも不安も悲しみも・・・そして感じたのは、原爆は過去のものではなく、今も太平洋上では実験が行われていること・・・そして人生は夢や希望だけではない、底知れない恐ろしさや危機を感じたことだ。実存的な意識の芽生えだった。

1960年代は、水俣病イタイイタイ病など、日本の高度成長経済の下で、次々と深刻な環境問題が発生した環境の中にあった。私は公害で苦しむ人々の気持ちを感じながら成長した団塊の世代に属していたが、その中で痛感したことは、人間による環境問題で苦しんでいるのは人間だけではない、実は海や陸や空に住む無数の生物や動物の存在もあったということだ。しかし自然の動植物や生き物は、人間のような雄弁な言葉をもっていないので、いつも全身でかれらの苦しみや悩みを、表現しているということだ。水俣病で水銀中毒になった子猫が、苦しみの余り踊り狂うさまは実に恐ろしいものだった。北海のあざらしは、廃棄された原子力潜水艦放射能によって、数千頭が一度に海岸に打ち上げられたり、身近には工業排水によって小川の鯉がすべて死んで白い腹を炎天に向けて流れていくさまなど、日本列島が、春になっても小鳥の歌わない、みみずも出てこない、虫も見当たらない“沈黙の春”がやってきているようだった。


そしてチェルノブイリ原発で起きた大事故は、人間の文明は莫大なエネルギーを得ようとする余りに、危機的な文明の絶壁に立っているという警鐘だった。この原発で被災して亡くなられた方は、実に100万人という膨大な数に上っている。しかし、さらなるエネルギーを求めて、世界は原発の激増に邁進している。特に中国とインドなどの新興国は、それぞれ100基もの原発建設に躍起になっている。

そして21世紀に入ると、環境問題は、あっという間に地球全体を覆いつくし、細胞の隅々まで汚染され、しかも氷が溶け始めて、追いつめられた北極のアザラシや鯨は生存を求めて大海洋を彷徨い始めた。地球の二酸化炭素におよる温暖化現象は、人間の文明に深刻な警鐘を鳴らしている。


原発の現場で配管工として働いてきた平井憲夫さんは、「日本が原発を始めてから1969年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした」と述べている。

1995年、太平洋8カ国のユネスコの図書開発会議を開催するため、フイジーに行ったとき、南太平洋大学の学長コナイ・ヘル・タマンという人類学者に出会った。そして“大亀ガウディの海“の本を贈呈すると、彼女はいっきに読み、「今日の環境問題や核問題を考えると、この本は太平洋のすべての国の人々が読まなければならない必読書。これは太平洋を決して核の廃棄場にしてはいけないというメッセージです。海を汚してはいけないのです」と力説された。ちょうど同年には、フランスが、太平洋のムルロワ環礁で核実験を強行しようと画策している時期だった。

私は、フイジーから帰国すると、すぐにフランスのシラク大統領に、この本の英語版を抗議書簡とともに送ったのだった。「シラク大統領殿、貴殿の言われるように核実験が人畜無害だと言われるなら、今回の核実験を太平洋の美しい環礁でやるのではなく、なぜパリの凱旋門エッフェル塔の地下でやらないのですか。それともフランスの旧植民地の人間は、焼いて食おうと、煮て食おうと、すべてフランスの自由だと言われるのですか」と尋ねた。しかしその答えとは、美しい太平洋の環礁に放射能まみれの大きな陥没を作ることに成功したニュースだった。サンゴ礁が高度の放射能で汚染されてしまったのだ。核実験は、このあとも中国、インド、パキスタン北朝鮮と続いており、そして核大国のアメリカは、現在でも臨界内核実験を数十回も強行しているのです。そして、中国やインドをはじめ、経済活動が活発化し始めたアジア地域では、環境破壊の中で貧しい人々はますます貧困に追い詰められ始めたのだ。 


そして2011年、最悪の結果をもたらす福島原発事故が起きた。