忘れやすい民族は、常に悲劇の山へ登る。

待ちに待った!?管首相の辞任は、8月内には実現する見通しだが、もし管首相の後任に、原発を強固に推進する新首相が誕生したときには、国民は直ちに辞任を要求するだろう。そんなことは誰でも知っている。今の流れでは必ずそうなる。要するに、野党自民党公明党が、ひたすらに管首相に辞任を要求してきた目的は、野田財務相を祭り上げて首相候補として一刻も早く原発を稼働させ、新設の原発を開始したいということである。彼らの利権が侵害されるのを守るという一点なのである。それに迎合する民主党の一部議員・・・なぜこうした連中はいつの時代も懲りるということを知らないのであろう。

そこには全く反省の文字も震災で苦しむ国民への具体的な救済策もない

一番明快に日本の政界を安定させるのは、管首相が衆議院を解散させ国民の信を問うことである。そして国民に原発に対するYESかNOを選挙の中で明確に問うべきなのである。それを行わずに管首相が辞任すると、大きな後悔の波が日本全体を覆うであろう。つまり自民党民主党の一部が結託する政党には、必ずや原発を推進する面々が多数参加するであろうから。彼らには国のあるべき日本の未来は絶対に託せない。


このことを国民は、どこまで知っているのであろうか?現在の原発事故の原因を作り出してきたのは、主に自民党であり公明党政権であった。彼らは原発事故に際してもなんの責任も感じずに、さらに原発の新設や続行を強固に目指している。それは利権を生みだす産業構造から要請されているのは間違いない。そして現在に至るまで、原発事故の真相は明らかにされていない。

つまり国民は、管首相の辞任がかなって大喜びをしながら、すぐに大落胆をするだろう。そして自らの不運を嘆くのが関の山だ。それにしても管首相というのは、不甲斐ない団塊世代であった。彼は団塊世代に属しながらも、なにを勉強していたのだ。その意味を全く知らない。なぜ最後まで、脱原発を強固に推し進めて、全世界へ大きな影響力を与えるということをしなかったのか。要するに哲学も思想もない政治家のなれの果てである。

そして国民はすぐに知るだろう。日本のどす黒い権力構造が、利権の塊である原発を手放すはずがないことを・・・・彼らは、放射能被曝で苦しむ人々は苦しみも対策も感じようとはしていない。津波原発の被災者を対象に、丁寧に救済するとはとても思えない。彼らが真っ先にやるのは、経済界へ莫大な補助金をばらまくのが関の山だ。それこそが彼らの望みだから・・

つまり管首相が辞任すると、新内閣が政界は見通しも全く見えない混沌とした状況に陥ることだろう。しかしどのように政界が、混乱しようと、脱原発政策を強固に進めない限りは日本には未来はない。どのように首相が交代しても国民は、脱原発を明確に進めない首相である以上、数か月にして首相の短期交代を要求するであろう。国民は、原発政策を進めようとしている自民党公明党もすでに見限っているからである。民主党には一部の望みを託しているが、民主党の中にも歴史の中における政治家の役割を知らない者が余りにも多い。

そして3−4年も経過しないうちに、国民は再度、管首相をアンコール声援で舞台に呼び戻すだろう。しかしそのとき管が、脱原発に対する具体的な工程表を作っておかなかったら、再び幕が即閉じられるだろう。甘くはないのだ。表面的な言葉の空虚さを、すでに国民は知っているからである。

要するに日本には、危機を打開する本当の政治家らしい政治家は存在しないのである。日本では、今後だれが首相であれ、脱原発を最も効果的に効率的に、説得力をもって行動できるものだけが首相になることができる。それを知らずに、炉心が溶融したような首相の交代劇が続いている。

福島の原発事故は始りであって、決して収束したわけではない。忘れやすい民族は、常に悲劇の夏山へ登るのだ。