アジアで生きる私ーノンフォーマル教育とはなにか?

アジア・太平洋地域の識字教育に約30年間たずさわった経験から痛感するのは、なかでも最も深刻な影響を受けている非識字者の約70%以上を占めるアジアやアフリカなど途上国の子どもたちや女性たちである。特に女性の非識字者が増加しているのは、これからの世界を考えるとき、深刻な事態を予想させる。 アジアの農村へ行くと、女性は育児、生活、教育、生産、経済など社会生活のすべてを担っているにもかかわらず、学ぶ機会は閉ざされている。私たちはややもすれば現代の経済や政治のように、目に見え。予算になり、具体的で即効性のある力による対処のしかたに心を奪われているが、しかし世界がしばしば大きな破綻ときたすのは、いつの時代も目には見えない重要な人間的な教育が切り捨てられる時である。



文字というのは実に不思議なものである。文字によって、情報を簡単に貯蔵する事ができるし、加工することも、時間や空間を越えて世界に簡単に伝えることもできる。文字は思考や活動を記録したり、人々の表現やコミュニケーション能力を育てながら現実社会を大きく変革させる原動力ともなってきた。しかし、現在、全世界の成人のうちなんと十億人もの人々は、この文字の読み書きが全くできず、非識字者と呼ばれている。,パキスタンの農村地域の女性たちで読み書きのできるものは非常に少ないが、隣国アフガニスタンパキスタンをはるかに越えて、世界で最も識字率が低く、ほとんどの子どもたちや大人たちは読み書きができない深刻な状況にある。現在、経済面だけでなく世界の識字者と非識字者との間には知識や情報の巨大なギャップが生じており、しかも非識字者の三分の二はアジア地域に集中している。

 考えてみると現代のように変化の激しい時代、もし人々が文字の読み書きができず、人間として人間らしく生きてゆくための知識や情報を得ることができなかったら、現代社会が直面している複雑な社会変容の中で生き残っていくのは不可能である。人はただ肉体的に生存するのではなく、人間らしく精神性をもって生存することを可能にさせる知識や情報の習得を心から必要としている。人間らしく生存したい、という欲求は胃袋の満足と同じように、人間らしい知識や情報を手にしたいという叫びである。

アジア・アフリカ・太平洋地域を歩いてみて痛感するのは、すべてのものごとは氷山のように水の上に浮かんでいて、事実はいつも水面下に存在することだ。つまり単純に外から見ただけでは複雑な社会の事実の把握は難しく、水面下の事実―つまり三分の二は見えない、把握していない世界のような気がする。特に文化・伝統・歴史・宗教が大きく異なり複雑なときには、その世界の把握には非常に困難が伴う。よしんば見えていても、目に入らない、見えないということもある。見える、見えない、ということは、自分自身という自覚的存在が価値判断することなのだから。どうやってアジアの事実を知ればいいのか。その答えのひとつを私はタイでみつけた。

 私はかつてタイのチェンライの山岳地域の少数民族であるアカ族、リス族、ラフ族の人々と一緒に「山岳地域の女性のための識字教育」を推進したことがあった。長年、その運動の中心となって働き、この社会で絶大な信用を得ていたトエンチャイという女性はタイ社会でも著名な女性活動家で敬虔な仏教徒だった。彼女に「タイ族に属するあなたは、どうやって少数民族の人々の絶大な信用を勝ち得たのか?どうしたら外部の人間がこうした社会に入って事実をつかめるのか!」と聞いたことがある。すると彼女はすぐに「もちろん、事実の発見は人間を通してです。」と言ったあと、「その村で本当に信用できる人間と関係をもつことが出来れば、それが事実を発見できる最大の仕事につながります。つまりその人は村の中に、必ず信用できる友人や知人をもっていますからね。その信頼できる人の糸をたぐっていけば、村が直面している事実や解決の方策が自然に見えてくるものです。

 ・・・・マイノリティの人々は、外の世界からきた人々に簡単に秘密を話すことはありません。しかし信頼できる人々によって次々と結ばれていく人間関係の糸は確かな事実を教えてくれるんですよ。」「なるほど、これがアジアなどの最も難しい状況の中で調査を行うときの秘訣か」と思った。複雑な人間関係や深刻な問題に絡まれている世界の事実を知るのは、人間に出会うことなのだ。事実とは人間認識のことで、氷山の表面だけ、見える世界だけで生きている人間では不可能なのだ。「あなたを判断するのはあなたの友人を見ればわかる」という言葉がある。なるほど事実を知ろうとしても、出会った人間が村の悪徳村長であったり、役人風を吹かせる官僚であったり、利潤を追い求める人間であった場合、村の事実や真実の発見は困難を極めるだろう。彼らの認識は事実や真実とはかけ離れた世界に生きているのだから。つまり、アジアの複雑な社会や構造を理解するためには、まず信用できる人間の眼鏡を通して事実や真実を発見するということである。

 私が長年携わってきたアジア・太平洋地域のノンフォーマル教育(NFBE)とは、フォーマル教育(学校教育)とは違って、建物らしい建物もなく、樹木の下や軒下などで地域の問題に根ざして人々の力で設置する30人規模の寺子屋式の学校を意味している。
 これが子どもたちの教育を行う識字の原点である。義務教育が確立していない国だけに学校では経費がかかり、貧困な親は学校へ子どもをやれない。小学校は5年生だが、最初の1-2年で脱落してしまう。そこで、識字委員会では全国に7千校のノンフォーマル学校を設置して教育を推し進めている。これらはすべて実際に困難な状況の中で生きている人々と草の根で共生することによって、現実の教育の現場を変えていこうとする試みである。「農村へ行け!そこに本当のインドがある」、とはガンジーの言葉だが、アジアの農村の学校へ行け!そこにアジアの教育の原点があると言えるのだ。

希望の作りかた
1997年6月にパキスタンへ赴任して驚いた。人々に笑い顔がない。希望がない。みんなの表情がいかにも深刻だ。無理もない。当時は公務員の30万人の削減計画が進行していたし、政権はパキスタン人民党(PPP)からモスリムリーグ(PML)へと大きく交代し、それに伴いスタッフなどの首切りなどが進行していた。経済状態は極度に悪く、みんな暗い顔をしている。50年間のパキスタンの歴史ではいつもこうしたことの繰り返しで、もう慣れきっていると言っていたが、みな淋しげに笑っていた。

 政権が変わると多くのプロジェクトが完全にご破算になり、プロジェクトが中途で破産してしまうのだ。政治が安定していないと、永遠に工事は完成しない。腐敗が蔓延する。こうした深刻な国内の状況を見ながら、私はこうした中では、まずなによりも人々を励ますことが大切だと思った。どうやって元気づけるか。みんなの希望や夢を聞いてみると、異口同音に「海外で働きたい」、「問題は資金のみ」と出会う人すべてがそう言った。しかし私は、これまでのように資金や大きなプロジェクトを供与するのではなく、パキスタンの実情にあった小さくても確実な゛希望゛の作り方を、彼らと一緒に実践してみたいと思った。それほどこの社会の政治や官僚の腐敗度はすごかったし、人々は自らの国や人生に希望をもっていなかった。

 こうした状況で子どもたちにどんなメッセージが送れるというのだろう。「洞窟の暗闇の中で、ある男が箒で闇を掃き出そうとしている物語がある。彼がどんなに懸命に闇を掃いても闇を掃き出せず嘆いていると、誰かが小さな灯りをもって入って来た。そしてたちまち闇は消えてしまった。」 この寓話のように希望とは闇を掃き出す努力ではなくて、光をつくるものであるかも知れないと思った。こうして誰でも実践できる灯りのような“希望”の作り方を識字教育の上で実践できたらなと思った。

識字の実態調査を通じて
そのためはまず初めにノンフォーマル学校の実態調査を行うこととした。トヨタの4WDのランドクルーザーに運転手と秘書と地元の通訳を乗せて、パキスタンの南の砂漠地帯から北の氷河地帯まで二千キロの道程を走り回る毎日であった。この地は古代からインダス川が流れ、自然や歴史の豊かな土地で非常におもしろかった。パキスタンの地方都市にはいまだに中世の世界がそのまま残っているし、仏教文化で有名なガンダーラ仏教遺跡やシルクロード遺跡はいたるところに残っていた。そして最初の一年間に全国で約三百校にのぼるノンフォーマル学校を視察することができたが、視察には、新任の識字委員会の議長も同行し、車の中で基礎教育の確立について夜通し議論するのが常であった。こうした調査の結果、ゴーストスクール(幽霊学校)なる学校が存在することを初めて知った。つまり書類の上では学校は存在するが、実際には建物も先生も存在しない。しかし毎月の給料だけはゴーストではない。つまりだれかが懐に入れている。これは地方や中央の政治家や有力者などが学校を作ると称しては、政府に書類だけを提出して、実際にはなにも行っていない、という事実である。

 広い土地といろいろの民族だけに正確な状況を確認するのは大変な仕事で、一九九八年にパンジャブ州がフォーマル学校の調査を行ったきは、軍隊と警察をフル動員した。そうでもしないと危険を伴うのである。統計や調査を正確に行うことは、誰かの利益を作り出すと同時に、誰かが必ず不利益を被ることにつながるからである。それに民族や言葉が違う土地に入るときには相当の注意深さが必要である。身の危険があるからだ。詳しい調査の結果、議長と相談して、これまで機能していなかった政府の管轄化にある学校はすべてNGO(民間組織)やCBO(地元の人々の組織)などへ政府から民間へと切り替えていった。もちろんNGOにもゴースト病は蔓延していたが、少なくても人々の意思によって運営されているところは熱心な教師によってよく機能していた。イランの映画にブラックボードという映画がある。戦争で破壊された村の小学校の子どもたちを教えるため、教師が黒板を背負って村から村へと歩き続ける物語であるが、村々での多数の熱心な教師の存在には心を打たれた。

 学校へ訪問するときは、通常関係者へ事前通告無しに突然訪れる。これをサプライズビジットというが、こうでなくては学校の実態がつかめない。すべてを事前に関係者や村の有力者によってお膳立てされると実態は絶対に見えてこない。甘いお茶を飲まされているうちに、あちらこちらの学校から集められた子どもで樹木の下の学校がいっぱいになることもある。険しい山を越え、広大な砂漠地帯を走り、豪雨の中で立ち往生し、強盗が出没するような危険地帯で調査をするのは、とにかく大変であったが、これがすべての高い建設物を作るときの基礎工事になるのだ。

この調査の結果、主に7つの問題点を確認した。それは
  (1)カリキュラムや識字教材の改善
  (2)教師やスタッフの研修
  (3)家庭教育における親の識字力
  (4)NGO(民間組織)の強化
  (5)コミュニテイの活性化
  (6)文化伝統の保存発展
  (7)識字政策の根本的強化
などで、これをもとに優先的に7つのプロジェクトを立ち上げたが、その中で実践したいくつかをご紹介したい。

 その第一は識字教材の製作である。子どもたちがなぜ学校を辞めていくのか。その問いかけの第一に教材不足があったわけだが考えてもみよう。五歳の子どもが初めて学校に入ったとき、なにが嬉しいかといっても教材を手にする、ということにまさるものはない。しかし、それが高価で買えず、その教材を入手できないと学校へ通う喜びもなくなってくる。教科書製作は連邦政府や州政府の承認など長く複雑な時間がかかる仕事だが、副読本だったら検閲もなく問題はないと思えたので、そのため魅力的で楽しい副読本としての識字絵本を作って無料で貧しい子どもたちを中心に配布しようと思った。そのためパキスタン国内の新鋭の作家や画家に企画に参加してもらったが、彼ら自身もこうした仕事への参加に熱意を燃やした。
魅力的な識字絵本を作るには?

本のタイトルは「絵本を楽しもう」という44ページのカラー刷りで、ドロップアウト率の高い五歳から九歳を対象にしたものであった。パキスタンの教育の現場は、イスラム教の聖典であるコーランを暗記するようにすべて暗記主義で行われていた。そして鞭と。これではおもしろいはずはない。子どもに興味をもたせるため、これまでの文字を中心にしたものから絵を中心にした物語や、パキスタン全体の絵地図や絵文字など含めて想像性に富んだおもしろい絵本を編集することにした。

 見返しにはいろいろの地方のさまざまな子どもたちの顔を紹介し、かれらの将来の夢を紹介した。それは学校の先生やお医者さん、クリケットの選手など多彩な職業を吹き出しに入れた。通常、子どもたちの未来の職業はほとんど親が握っているので、子どもたちは自由に自分の将来の夢を見れない。これは「子どもたちの夢見る権利」とでも言えるものであるが、他人の夢をのぞくことは、子どもたちの世界を強く刺激する。また画家の発案で国語のウルドー語のアルファベットを楽しい絵文字で紹介したページを作成した。


多くの学校関係者が集まったとき、特にこのページに対してある老人が立ち上がって激しく批判したことがある。「われわれの言葉はコーランのアラビヤ語に由来し、すべてカリグラフイーによって出来ている。このような絵文字で我々の文字を表現すべきではない。なんということだ」 これに対して異国人である私は黙っていた。文字に関する表記は彼ら自身が答えなければならない文化の根源的な問題だからだ。会場の人々がどんな判断をこの絵文字に出すか、聞いてみたいと思った。
 するとすぐに何人かの人が立ち上がり、「なにを言っている。今、子どもたちには想像力のあるものが是非とも必要なのだ。この絵文字で書かれたウルドー語を見ろ。こんなに楽しく書かれた文字は初めて見た。ありがとう。こんな美しい絵本を作ってくれて!」 と大事そうに絵本を抱えて絵本を擁護するこの発言によって会場で絵本を鋭く批判した老人は黙ってしまった。
 いい絵本を作ることはいつもこうした原理主義的な保守派との戦いであるが、実のところ彼も集会後、この絵本が一冊欲しいとあとで催促に来た。

 とにかく大きな反響があった。パキスタンの子どもたちやアフガニスタンの難民の子どもたちもこの絵本が大好きであった。子どもたちがこの絵本を受け取るときの表情は、素晴らしい輝きに満ちていた。子どもの瞳が輝くのは、それは「未来を見つめようとしているからだな。」と実感した。食べ物を受け取るときの表情と違って、瞳が大きく輝く。子どもたちは、精神的な食べ物の本が、どんなに大きな精神的な滋養となるのかを直感的に知っている。文字が読める子も読めない子も。

 この絵本は最初に一万部を刷ったが、すぐに二刷りも行われた。学校の先生や子どもたちは狂喜した。「初めてこんな美しく楽しい絵本を読むことができた。」ある人は、「いままでうちの子は教科書でもなんでも本はすぐに破ってしまうが、この本だけは今も破らず大切にしている。しかも内容を全部暗記しているよ。」と驚きをもって報告した。 こうした絵本の編集はACCUでアジアの専門家と一緒に長年経験してきたことでもあり、特別なことではなかった。才能あるたくさんの人々の考えを共同編集すればいいのだから。そのためにもパキスタンの現地の子どもたちのニーズをベースに共同的な編集作業を通じながらパキスタンの編集者、作家、画家などにその方法論を詳しく伝えていった。

紙芝居の製作―教授法の改善
また二番目に試みたことは先生の教授法の改善を促すことであった。口でいくらしゃべっても教授法が変わらなければ全く効果がないので、単純なことを実践することにした。それは教師と生徒で、口承伝統を生かした双方向性のおもしろさをもつ紙芝居の制作であった。
 絵本の中で人気のあった「ティンティンとトゥントゥン」という二羽の小鳥の物語と、「一本の木」という植林の物語を、フルカラーで十二枚の紙芝居にし、木製の舞台を千部製作した

。特に小鳥の物語は主人公の名前が子どもたちのお気に入りで、学校によっては何十回、何百回となく上演されている。「二羽の小鳥が出会って結婚し、困難な状況に遭遇しながらも子どもたちを育てあげ、やがて元気に巣立っていく。」という単純な物語であるが、日本の家族と比べると家族の絆が非常に強いパキスタンだけに、家族のテーマには人気が集まったが、特に二羽の小鳥が初めて出会って、彼ら自身の意思で結婚をするという個所が気に入ったようだった。というのはパキスタンでは、現在でも九割以上が見合い結婚―つまり結婚とは家同士の絆や結びつきを確認するといったものであるだけに、小鳥の自由さが大いに受けたのだ。

しかし再び、識字委員会の関係者は、「この物語は我々の結婚の習慣とは異なったことを教えている。子どもたちの教育上ふさわしくない。とんでもない。」としきりに強調したが、この紙芝居を見て喜ぶ子どもたちや教師たちの声にかき消されて沈黙してしまった。なにか新しいことを始めると、必ずこうした反対者が現れてくる。それは文化や伝統を隠れ蓑にしながら、かれらは力をもち既得権を守るために、変化をおそれ、自由な人間の精神の広がりを強く警戒しているのだ。
 紙芝居のように演劇性をともなった識字教育を推進してみて、これまでの文字を中心にした文化だけではなく、音や絵や動作など人間を豊かにするすべてのコミュニケーションを通じて多様に行うことは、子どもたちの感動の幅を豊かにすることを痛感した。特にイスラム社会のようにイラストで動物などを表現することが比較的少ない世界では、語りと絵を結びつけた紙芝居は実に有効な手段だと思えた。子どもたちは、おもしろいものには文句なしに集まってくる。

これは人間の生きる本性でもある。私はACCUに入った一九七七年に三作の紙芝居(インド,ビルマ、日本の昔話)の制作を担当し、アジアに広く配布したことがある。それ以来、バングラデシュやネパール、タイ、モンゴルなどで識字紙芝居の製作を推進し、この経験がその後、ベトナムラオスでの紙芝居の製作を交えた識字や図書のワークショップに?がっていって、これらの国々に大きな刺激を与えることにもなった経験があった。

 子どもたちが紙芝居を見て喜ぶ姿を見て、教師たちは驚いた。「なぜ子どもたちがあのように生き生きした表情をするのか。」 とにかくおもしろかったのである。教育の現場におもしろさが必要なのだ。感動やおもしろさが敵になっている。しかし実感をともなわない感動は子どものなにも育てていないことにつながっている。頭の訓練から体全体の感動が必要なのだ。

 また北西辺境州で進行している森林伐採をテーマにした物語「最初の一本の木」の紙芝居では、この物語の上演が終わると、子どもたちが「先生!植林しよう。学校に植林しよう!」と先生にさかんに植林を催促したとのことで、いくつかの学校では実際に植林された現場を見たこともある。子どもたちにとって植林とは、単なる知識や情報ではない。自然や人々の生きる姿勢を実感的に学びながらも、現実に人々が苦しんでいる環境破壊の流れをどうやって変えてゆくか厳しい生活への熾烈な問いかけでもある。

 毎年襲ってくる激しい旱魃で田畑が干上がって、困窮を極める両親を身近に見る子どもたちには、知識を越えて現実に実行することの大切さを感じている。それは子どもにとっても生死をかけた重大なテーマだったに違いない。
 かつて私はパプア・ニューギニアでインドの著名な画家であるA・ラマチャンドラン氏と一緒に紙芝居を作ったことがある。人口増加のために環境が破壊され、マラリアが多数発生している地域で、マラリア撲滅のための物語をパプアニューギニアの語りをもとに制作したのだった。

これは大成功であった。パプアニューギニアの独特の文化を背景に、西洋のものではないパプア・ニューギニア独自の白黒色の表現様式を使いながら、マラリア国に住んでいる女王の蚊を主人公にしたおもしろいストーリーで、絵を見るすべての人々を笑わせた。そしてマラリアについて大きな関心を巻き起こした。物語ではその土地に依拠した土俗的・文化的な価値と教育的な価値を楽しく効果的に統合しながら、教訓じみていないおもしろくておかしい内容を目指したのが成功した秘訣だったのだろう。アジア地域で識字教材の制作を行ってきた経験をもとに、教材が成功する三条件として考えると、
    第一に理解しやすい言葉で書かれており、わかりやすいこと、
    第二におもしろくて視覚的で想像性をもって表現されていること、
    第三に実際の生活に具体的に役立つ知識ではないかと思っている。

そして人々の二―ズや感性を確実に理解していることが必要だ。現在の日本のように学習指導要領でがんじがらめで先生を縛ってしまうところには、教える喜びも学ぶ喜びも存在していないのではないか。紙芝居の発想とは実に自由な想像を通じて、子どもたちの世界に自由なコミュニケーションを作ることを意味している。

紙を漉くことと識字活動

三番目はコミュニティのおとなに効果的な識字教育を推進することであった。おとなの識字とは、毎日の生活向上をはかるために実際に役立つ知識、情報、技術を具体的に生活の中で活用する能力を意味している。だから、知識や情報は生活のための収入向上や環境の改善など現実に結びつくものが必要だ。とくに女性が果たしている役割は大きい。

 私は多くの学校を訪問しているとき、子どもたちから口々に「コピーをください」と求められた。コピーとはいったい何の意味か、初めはわからなかったが、すぐにノートを意味していることがわかった。通常、ほとんどすべての学校では五歳から十四歳までの子どもたちは、羽子板のような板版に白土を塗って乾かし上に、水に溶いた粉インクを竹ペンにつけて書いていた。これは何度でも書き直しできるので随分便利なものだと思っていたが、反面次に書くときには塗り直さなくてはいけないので、実にやっかいだ。冬の寒い時にはたくさんの子どもたちがこのタクテイ(板版)を塗り直すために小川で洗っている風景を目にしたが、実に寒そうだった。しかも冬日なので土で塗り直してもなかなか乾かない。

 しかし子どもたちが、直面している問題は、そうではなく、書いたものや記録をすべて消さなければならないということが問題だったのだ。考えてみると文字や絵は紙に書いて記録しないと確かな記録とはならない。浜辺の砂文字のように、波に消される運命にあるものかも知れないものは不確かだ。識字と紙は表裏の関係にあり、人は岩や紙や皮などに文字を書いて情報を保存したとき、初めて表現や伝達の喜びをかみしめたのではなかったか。

 紙の使用量と教育の関係は正比例している。紙は文化のバロメーターともいうが、ノートにしても絵本にしても、日本を含め先進諸国では無尽蔵の紙を消費している様相がある。それも他国の森林伐採などの犠牲によって。しかしパキスタンのような途上国のほとんどは、紙パルプを自国で生産することは少なく、輸入品が多い。だから、ノート類にしても非常に値段が高い。そこで私は困ってしまった。子どもたちの要請にどう答えるか考え続けていたとき、沖縄のさとうきびの残滓(バガス)から紙が作られているのを知った。「そうだ。サトウキビならパキスタンにはたくさんある。砂糖を搾り取ったあとの残滓は燃料にするか、家畜の飼料にするかである。これを使ったら」と思い、早速自宅に工房を設置した。それから庭や野山に生えている植物の繊維はすべて試みようとバナナの幹や葉(バナナの実を収穫すると切り倒す)、竹のささ、野生の桑の皮、茅、びわの葉、麦わら、稲わらなどを使って紙漉きをはじめたのであった。

最初はせんべいみたいな厚さであったが、日本の和紙の漉き方のような独自な創意工夫を重ね、三重大学の木村先生や三塚さん、重栖さん、黒川さんなど多数の友人の協力などを得て、とうとう一年後にはどのような雑草からも簡単に紙が漉けるようになった。とくにパキスタンの夏日にあわせて素早く紙を板に脹れる新しい方法も開発できたのは効果的だった。


 これを見て人々は驚嘆した。バナナの緑の葉から紙ができる。サトウキビの残滓から紙ができるというニュースはあっという間に広まっていった。そこで私は特定の人々だけにこうした技術が伝わると、すぐに技術の特権グループができると思われたので、なるべく多くの人々に教えようと決意した。なかでも社会的に恵まれていない環境に生きている人々に真っ先に伝えようと思った。紙作りと識字教育を効果的に結びつけるためにも。

 まず最初に選んだのは、アフガニスタンの国境近くに住んでいる非イスラム教徒の人口はわずか約5千人という少数民族のカラーシャの人々であった。谷川に生えている柳の皮や使い古しの紙箱などを使って次々と紙を漉き始めた。最初に好奇心に満ちた眼で集まったのはたくさんの子どもたちであった。かれらは不思議なものでも見るように食い入る様に見つめていた。そしてやがてカラーシャの若者たちが、そして成人女性、最後には長老までがこの紙漉きに参加した。紙という存在が都市から送られてくるのを待つのではなく、自分たちの力で紙を創造する、という自信に満ちた彼らの喜びの顔を忘れることができない。しかも漉きあげた紙を板に張りだし、乾くとすぐにその紙を剥がして、その上に若者たちは線画を使って思い思いの絵を、線画を使ってカラフルに描き始めた。文字をもたない村に伝わってきたさまざまの動物や人間や生活を。識字の原点の喜びが刻まれ始め、長い間、表現したいと思っていたカラーシャの人々の心に灯がともった瞬間だった。

 おもしろいことに描かれたすべての動物は糞をしている。生きているという証しなのか。それをじっと見つめている子どもたちの目。その輝く目やその場こそ私の求めていたコミュニテイのノンフォーマル教育の現場であったのだ。自分たちの文化を表現でき、それを記録できる驚きと喜びが入り混じりながらカラーシャの人々のワークショップは続いた。カラーシャの村に嫁いでいる日本人の和田晶子さんは、若者たちに情熱をもって指導し、このワークショップを通じて、人々は自分たちを実に生き生きと表現し始めた。とくに子どもたちや若い女性たちは夢中だった。それからは新しい絵本や絵葉書などをクルミの殻を炭にして作った墨で描きはじめるようになり、紙漉きは収入向上にも貢献し村おこしの重要な役割を演じ始めた。

この日はその記念すべき最初の日となった。また全国の農村地域で子どもたちを教えている女性の教師、キリスト教徒のNGOや障害者の子どもたちにも教えた。知的障害のある子どもは、自分で漉いた紙に絵を描きそれを受け取った人々の嬉しそうな表情を見て、大喜びし表現することに自信をつけ始めた。そしてラホール、イスラマバード、カラチ、ハイデラバードなど全国の大学の芸術関係者なども含め五十五回のワークショップを開催した。自宅の工房へはイスラムの聖なる金曜日にも休日の日曜日にも人の絶えることはなかった。そして千五百人を超える人々がこの技術を手にしたのである。

刑務所の中に作られた子ども図書館

人はどこでだれに会うかわからない。どこで誰が聞き耳をたてているかわからない。しかしその場その場で必要と思われることをしゃべるのではなく、私はいつも本音で語ることが必要だと思っている。本音は人との新しい出会いを作るからだ。あるとき識字教育に関する会議で発言を求められたとき、
「もちろん、このようなワークショップや会議開催も必要ですがね、パキスタンのホテルではいつもこのような会議が開かれおり、だれもかれもが口角沫を飛ばしてしゃべっています。カラフルな事業報告書はどのオフィースにもうず高く積んでありますが、果たして現実を改善しているのでしょうか?政府を筆頭に口や言葉ではなく実際の行動こそが必要なのです。皆さん!会議で決めたことは確実に実行して下さい。今は発言を止めて実行する時です。実行!」と私は叫んでしまった。すると会場からいくつか賛同の声が上がったが、その中に社会福祉省の女性がいた。彼女は「あなたの本音の発言にとても感動しました。言葉ではなく実行が必要なのです。実はパキスタンの刑務所に収容されている子どもたちが今大変な状況に置かれています。是非私たちの仕事に協力して下さい」と言った。そのため彼女の依頼で、パキスタンの刑務所に収容されている子どもたちのための協力活動を始めことになった。

 私は刑務所に収容された子どもたちの実情は全く知らなかったので、まず全パキスタンで収容されている子どもの実情を記した資料を要請した。しかし、いつまでたっても彼女から報告書や数字らしい数字が示されない。「なぜ、いろいろの数字が示されないのですか。客観的な実情を知っておかないと、つまり子どもたちが何ヶ所の刑務所にどのくらいの数で収容されており、どのような心理状態におかれているか知らないと何もできないのはおわかりでしょう?それともあなたは、上司から外国人にはそのような詳しい実情を話すなと口止めされているのでは?」と問いかけると、最初は強く否定していたが、やがて「はい」と素直にうなずいた。そして全国の80箇所の刑務所に約7千人の子どもたちが収容されているのを知った。私はどの国でも、刑務所に収容された子どもたちの問題に取り組むのは実に困難なことは知っている。それぞれの国の社会的恥部でもあり、国際的な人権問題に広がることも極力恐れているからだ。しかし「協力が必要でしたら私に怪我をした患部を見せて下さい。頭に怪我をしているのに足に包帯を巻いてもなんにもなりませんからね。」と言って刑務所の実態調査をすることを強く要請した。

こうして初めて刑務所に足を踏み入れた、私は約四千人の大人と約二百名の子どもたち(十歳から十八歳)が収容されている大きな監房を訪れた。看守がいかにも威厳をもって警棒を振り回している。聞き取り調査の結果、貧困や無知のために犯罪者に仕立てられた無実の子どもたちや大人の犯罪に利用された多数の子どもたちの話を聞いた。窃盗、麻薬運び、殺人、浮浪罪などあらゆる罪名がつけられていた。家庭の貧しさからくる無数の小さなジャンバルジャンの目を牢獄に見た。

 調査のとき、「お願いです。僕が捕まっていることを家族に知らせて下さい!僕は誰も殺していない。」と訴えた子どもがいた。これは犯罪を犯した大人が無知な貧しい子どもを犯罪者に仕立てたケースだった。すぐに弁護士に連絡した。リーガル・リテラシーという言葉がある。法的な必要な識字による知識を意味しているが、情報化社会と言われながらも、自由に人生を選択できる子どもたちは、世界でも非常に限られている。こうした状況は、パキスタンに限らず世界的な傾向であるが、近年はますます弱年の子どもに武器を渡し戦争の担い手にしたり、犯罪者に仕立てられる子どもの数が激増している。知識や想像は、彼らの精神的な大きな癒しになり拠り所になり、自立の力となるはずだ。私は苦しんだ。なんとかして家庭や社会や知識から遮断された子どもたちを救いたい!知識や本を読む喜びは富裕な人々だけのものではない。

 こうした調査をもとにして、私はこの刑務所での最初の仕事を狭い劣悪な監獄に収容されている子どもに、クリケットやバドミントンなどスポーツ用具を贈呈することであった。成長盛りのかれらを太陽の下でスポーツさせることが彼らの健康を確保する道につながる。刑務所長はこの申し出を承諾した。性急に人権問題として取り上げると、関係者はすぐに実態を遮断するために少しづつ彼らの考えを変えていった。そして次に子どもたちの将来の自立のために「新聞紙を再生する紙漉きのワークショップ」を開いた。色とりどりの紙が新聞紙を材料にして漉きあがっていくのを見て、子どもたちは狂喜した。物をつくるということに興奮した。こうした具体的な行動の中から、刑務所側との信頼関係が醸成されてきたとき、本や情報から隔離されている子どもたちの「本が読みたい!新聞が読みたい。」という要望を実現するために、私は監獄内に南アジアでは初めての子ども図書館を設置する活動を開始した。

 この図書館が出来上がるまで実にいろいろの障害があったが、常に粘り強い説得で刑務所や世論を変えていったのが成功の原因だった。そして調査から2年たった2000年の11月、パキスタンや日本の松岡享子さんなどの有志やNPO2050、そしてNGOの友人など約30名からのご協力でラワ−ルピンデイ中央刑務所に収容されている子どもたち(十歳〜十八歳)を対象とした子ども図書館が完成した。建物の全経費は50万円。絵本や物語など1500冊以上が個人や出版社から届けられた。男女の子どもが本を読んでいる絵看板も掲げられた。この図書館はウルドー語で「太陽の光」を意味するキランという言葉をとって「キラン図書館」と命名された。太陽の光のようにすべての子どもたちに「明るい光」が等しく行き渡るようにという願いからである。

図書館の建物は六メートル四方だから大きいものではない。しかし建物をチェックしているとき、狭い牢獄から図書館の建物をじっと見つめている大勢の子どもたちの熱い視線を感じた。かれらは必死に助けを求めている。知識は光になるのだと思った。そのため彼らからも図書館の内容についてアンケートを集め希望の本を募った。幸い子どもたちの半数は読み書きができたので、読めない子どもは読める子どもの読書を見て刺激を受けることになった。
 また図書館を運営するボランティアによる識字クラスの開設も計画し、無罪の子どもたちを救うために弁護士を交えた救援会も組織された。子どもの牢獄はパキスタン社会の深刻な矛盾がそのまま反映されている。貧しいが故に犯罪を犯したり、無知な故に投獄されたり、家族から見放されていく子どもたちに、文字や絵や写真や職業訓練を通じて励ましていこうとする試みは、小さくてもこの社会に大きなインパクトを与え始めた。

見える世界・見えない世界・ヒューマン・リテラシー

その昔、私は「びっくり星の伝説」という物語を書いたことがある。物語の中で人間という存在は「言葉と手」をもっているために他の生物とは異なって、非常にユニークな文明を築くことが可能となり、とくに「言葉」は目に見えない世界や事物を容易に描写し想像させることができたが、人間の「手」はそれを実際に目に見える世界に具体化させることができ、この両者の協力によって人間は文明を発達させたが、その使い方を誤ったために人間の文明が消滅しという物語である。
 1998年5月、私はパンジャブ州の農村地域でノンフォーマル学校を二百校設立する式典に出席した時、文部大臣の口から次のような祝辞を聞いた。「今日、我が国には10数人のカディール・ハーン博士のような科学者が存在している。彼らの努力によって今日、我々は素晴らしい科学技術を達成することができたが、識字教育とはこのような科学技術の発展に大きく貢献するものである。学校がますます増えることによって、我が国の核開発がますます進展していくことを希望する。云々」私はこれを聞き怒りが込み上げてきた。

カディール・ハーン氏とはパキスタンの原爆開発の父とも言われる有名な科学者である。もし識字が核開発のような目的のために使われるものならば、その識字は完全に間違っている。」そして、咄嗟に私はその為政者が発言した識字に関し、ヒューマン・リテラシーという新しい概念を考えついた。「識字は哲学や方向性を持たなければならない。識字とはただ単に読み書き計算ができるかどうかの技術能力の問題ではなく、豊かな人間性を有し、普遍的な目的や内容をめざすものでなくてはならない。人を不幸にし、人を殺す識字がこれまでの歴史でどれだけ推進されてきたことか、そして現在もまたそれは続いている。文字によって表現される知識や技術は、人間のありかた全体に真摯なる責任をもたなければならない。識字とは人を生かし、争いをなくし、人間同士が信頼できる世界をつくるためにこそ存在する。」 そう考えて、ひるがえって日本の現実を考えるとき、今の日本の文字や知識、情報や技術は人々が果たして幸せになるように使われているであろうかとも思えた。そのためヒューマン・リテラシーインデックス(HDI)という新しい概念を書き始めた。式典が終了し、約6時間のドライブのあとイスラマバードへ帰宅した日の夕方、パキスタンがインドに対抗して初の原爆実験をチャガイ丘陵で行ったという知らせを聞いた。

2001年からICLCによる新しい事業展開

ICLCは1997年5月に東京に設立していたもので、数人の友人がそれまで東京やイスラマバードを拠点に活動を行っていたが、2001年からは東京を拠点に始めたのである。そして国内の教育専門家や大学院生などを対象に識字教育の哲学や方法論などを伝えながら活動を開始したが。これが新しい喜びを生み出す母体となっていった。そして次々と新しい事業が生まれていった。

(1)アジア各国の識字教育の専門家養成や多様な識字プロジェクトの創設
(2)識字を通じてカシミールや北東アジアの平和絵本の共同出版計画
(3)アジア地域ーカスールなどで進行している環境問題への識字協力
(4)人間教育のための子どもや大人の自立のため
   「絵文字による地図作り(日本、韓国、インドなどの小学校の教師や生徒対象)」
(5)ヒューマンリテラシ-を通じた多様なコミュニケーション方法の実践
(6)多様な教材開発と教師養成活動など
を推進し始めた。

識字ワークショップもテーマを代えながら、国連大学の1階を会場として、11回開催され多数の参加者が出席した。私としては途上国の基礎教育や識字教育を理論と実践面から同時にすすめる国際的な教育NGOとして立ち上げたのであるが、パキスタンから古くから知り合いの著名な女性大臣(パンジャブ州)や中国の専門家などが早速会員になりたいと申し込んできた。

 日本では、隣国の韓国や中国との過去の歴史事実についての教科書の内容ひとつとってみても、日本人がどれだけ現在や将来の子供たちに普遍的な思考や哲学を伝えていこうと努力しているのか考えると疑問なところが多い。忘れやすい民族と言われる日本人が過去に目をつぶり国際社会でなにができようか?しかしそれだからこそ21世紀には新しい挑戦が必要であり、そのためのインドとパキスタンカシミールを題材とする共同出版計画が考え出された、そして構想は1998年のIBBYのニュデリーの会議で発表し、多くの賛同を得て両国の画家と作家から2種類のドラフトの完成版を受け取った。そしてこの内容をさらに討議するため2001の2月に東京で5カ国の関係者が集まって出版編集会議を開催した。これは32ページのカラフルな絵本で英語、ヒンディ語ウルドゥ語カシミール語など4言語で出版が予定されており、文字通り世界でも画期的な共同出版になるのではないかと思っている。またアフガニスタンの難民の子どもたちへの新しい教育計画も多様な形で始まろうとしている。

コンピューター社会の識字(リテラシー)と 未来

今日の社会は、新しいコミュニケーションの方法の発展にともなって、コンピューター・リテラシーメディア・リテラシーという新しい言葉が誕生している。これらはすべて、今日のコンピューター社会で生き残るために必要なコミュニケーション能力の形成を意味している。つまりリテラシーの問題とは人間のコミュニケーションのありかたを時代に従って、どのように形成するかという課題でもあるが、知識や情報の貯蔵加工・伝達方法が変化すればそれにともなってリテラシーの概念も大きく変化してくるに違いない。

 識字の問題は、それぞれの時代の文明のありかたをリアルに表現しており、現代のように多様で大量な情報の海を生きるためには、テレビや広告や宣伝などあらゆるメディアについての批判的能力の形成も子ども時代からの非常に重要な能力形成となっている。それは今日の多様なメディアに十分にアクセスできる能力と同時に、それを分析評価したり、あるいは多様な形態でコミュニケーションを創りだすことのできる能力を指しているもので、それはこれまでの社会がもっていた読み書きなど文字を中心に考えられてきた識字(リテラシー)の概念を超えて、映像やあらゆる形態の電子コミュニケーションを広く理解し、創造する力を含んだ新しい概念である21世紀にはコンピューターによってますます多様で迅速なコミュニケーションが実現するだろうが、それが人間性を大事にするものでなく市場経済の成功を求めるための単なる機能や効率を求める場合には、取り返しのつかない人間疎外が生じてくるだろう。

 しかし現代世界は識字(リテラシー)を狭義に理解し、文字文化を偏重するあまりに自然の視覚・聴覚・触覚・味覚・直感・運動などコミュニケーションの大いなる可能性を十分育ててはこなかった。特に、日本の子どもたちは、学習指導要領などに代表される読み書き能力を中心とした学力偏重によって、豊かな想像力やたくましい創造力を養う機会を奪われてきた。その結果人間的な感受性や表現能力が非常に乏しい結果となっている。そのためには、コンピューターによる能力の開発だけでなく、自然や人間の基礎にある豊かな生き方を絶えず実感しながら、世界の人々とともに「本当の言葉や文字を求めて」人間的な自立や創造のための識字活動(リテラシー)やコミュニケーション活動を行っていくことが求められているのではないか。

 アジアやアフリカの人々は叫んでいる。”人間的な生活を送るために識字を下さい!” 生存するために知識を下さい!世界で最も重要な位置にある子どもと女性に喜びと幸せをもたらす識字を与えて下さい!と。それは今日のアフガニスタンの子どもや大人たちに共通する叫びである。そして識字者である私たちの課題とは、情報化時代における普遍性と倫理に基づいた人間的な識字(ヒューマン・リテラシー)を確立し、これを世界の人々とともに実践していくことではないかと思う。つまり。本当の識字事業とは、人間性を豊かにし、世界を平和に作るものでなければならない。文字を学ぶ目的は人を殺すことを学ぶのではなく、人や社会を生かしてお互いが理解しあう内容を学ぶべきなのだ。こうした人間的で普遍的な理解をともなった識字事業を創造してゆくためにも、これまでの経験をフルに生かして、「国境を超える新しいプログラム」や「希望の作りかた」をこれからの世代とともに実践していきたいと強く念願している。


田島伸二 (国際識字文化センター)
tajima777@gmail.com