識字教育では、本質的に創造的なものでないと、役にたたない!

アニメーションでアジア・アフリカの識字教育の推進に向けて 2011年01月19日
アニメーションは、実に大きな力を持っている。見る人の心を大きく動かす。初めて「風の谷のナウシカ」のアニメ映画を見た時の感動は忘れられない。あの作品は、環境問題の深刻さと人間の生き方について、感動的な物語で表現したもので、物語を通じてのアニメーションの新しい可能性を切り開いたものであった。昔、東映が製作したアニメに「白蛇伝」という名作があったが、日本の視覚文化の豊かな伝統と現代のアニメ技術、そして想像力のインテグレーションが実に繊細な表現を可能にしたのだ。



 こうした背景の中で、ACCUで、日本、マレーシア、中国、インドなどと共同で識字教育に関する新しいアニメーションの共同制作に携わったことがあったが、最近、読売新聞から取材を受け、そのときの記事が掲載された。しかし重要な議論の詳細はこの記事には、記されていない。そこで議論されたことは多様な文化表現と宗教、あるいは文字の読み書きのできない人々の苦しみや環境問題など、非常に深刻な課題が多数提起されたのである。
そうした課題を、マレーシアから参加した漫画家のラットたちと夜を徹して議論し、製作したのであった。声優としてアグネスチャンが、無償のボランティアで参加してくれたのは嬉しかった。


「ミナの笑顔」の物語は、最初にラットに依頼した。しかし画稿とその物語を読んで驚いた。そこにはラットのマレーシアでの子ども時代の農村生活が描かれているだけで、識字の問題などは全く描かれていなかった。
「これではアジア地域では識字のアニメーションに使えない」と思ったので、私は、ラットが来日したとき、話し合って、これまで識字の業をアジア地域でやってきた経験から、物語は自分の手で構成創作してみようと考えた。


そこには、女性の自立と識字教育との関係性を描くために、主人公は女性、そして物語に読み書き計算のハプニングを通して目覚めていく物語として、そこにはさまざまな人物を描くことにした。それをラットに示すと彼は「実におもしろい!」と言ってすぐに賛成してくれた。そこでこの素案をインドへ行ったとき旧知のバーシャ・ダス氏に見せて物語を最終的に構成することにした。そして会議でも、ミナの亭主の支援や薬局での薬品を買うときの計算能力、マーケットで中間搾取をする男などをおもしろく加えることになったが、最も細心に気を配ったのは、非識字者に対する深い配慮が必要だったということだった。

アニメーションの意味は、ややもすればアジア地域では、娯楽的に受け止められている。ミナの笑顔では、バスの中で文字の読めないミナをみて笑うという場面が出てくるが、彼女を見てみんなで笑ってしまうことは、大変大きなショックを非識字者のミナに与えてしまうということである。私は大阪の識字運動の中で製作された映画などを借、文字の読み書きのできない人の心理については表現のデリケートさがわかっていた。映画の中で感銘を受けたものに「雨の指もじ」 という映画があった。

それは部落差別のため、学校で十分学ぶこともできず、文字を失った苦しみを通して、文字を学びながら、新しい生き方を発見していく姿を描いたもので実に感動的なものであった。あらすじは、授業参観日、遅れて教室に入った児童の母が、「その日の授業は、教室が変更になり、みんな他の教室に移動したという」その知らせが黒板に書かれているのだが、母には全く文字が読めない。その時の母苦しみが描写されている。文字の読み書き、知識の欠如などの苦しみはだれにも目に見えない。しかし人の尊厳を破壊する。それを実感できないようでは、アニメーションつくりはとても難しいのだ。識字アニメの製作上でラットなどと多くのことを議論した。


そこでは、実に重要なことが話された。文化、風俗、生活、宗教、ジェンダーなどなど、これからその内容を詳しく書きたいと思っているが。これは現在、私が働いている国際識字文化センター(ICLC)で、現在、新しく企画している識字アニメーションを始める参考として読んでいただければいいと思っている。アニメーションが成功するかどうかは、基本的なメッセージが、非識字者の心にきちんと届く表現になっているかどうかである。




識字教育においては、創造的なものでないと本当の役には立たない。