21世紀を予兆する宇宙的な絵本

インドのA. ラマチャンドラン (A.Ramachandran) の経歴は、1935年南インドケララ州に生まれ、1957年ケララ大学を卒業(マラヤラム文学専攻)した後に、西ベンガル州のシャンティニケタンにラビンドラナート・タゴールの創設したヴィスワ・バーラティ学園(タゴール国際大学)の美術学部や博士課程で学ぶ。学生時代には、西ベンガル州少数民族のサンタルの文化に興味をもったり、アジャンタの壁画なども現地に泊りがけで調査研究したという。1961年からケララの伝統的な壁画の本格的な調査を行い。マラヤラム作家の話をもとに40冊以上の絵本を描いている。

かってインドは、爆発する人口・貧困・カースト制度などを背景に「貧困の代名詞」のように言われてきたが、現在のインドは、経済の自由化のもとにコンピューターや科学技術の華々しい開発で世界経済の中で脚光を浴びながら著しい変化を遂げている。しかし光の部分が強ければ強いほどインドが直面している影の部分も一層深刻でもある。その格差はまさに天文学的である。

こうした激しい変化の体制の中で希望と言えば、インドの各地域に根ざしたNGOが各分野で活躍していることやまたいろいろの分野で、インドの伝統を学びながらも個人の存在としての生き方が輝いている点である。インドには魅力的な人間が多い。それは光と闇が入り混じった世界や相反する世界や多元的な価値観の世界が混在し、そしてその中から絶えず独創的な世界を生み出そうとして苦悩している世界があるからである。インドの伝統文化の重要さに深く傾倒しながらも、西欧やアジアー特に日本の絵画の世界から大きな影響を受けながら独自の世界を築き上げたインドの画家、A・ラマチャンドランは日本では絵本作家としか紹介されていないのが非常に残念であるが、インドでは逆に彼が絵本作家であるというのはほとんど知られていない。

ラマチャンドランの作品HP: http://www.artoframachandran.com/

巨匠と呼ばれる人の場合はいずれもそうであるが、全体像が余りにも大きく彼の活動のほんのさわりしか紹介できない。また15年前に完成した画稿であるが、最近東京のディンディガル・ベルより、日本語・英語・韓国語の3言語で刊行された絵本「大亀ガウディの海」の絵本の新作も併せて紹介したい。

1965年からは、デリーのジャミア・ミリア・イスラミア国立大学で教鞭をとり、美術学部を創設し美術学部長を勤める。1966年デリーで初の個展を開催。作品に「動く体」”Moving Bodies”などがある。1967年デリーで2回個展を開催。「遭遇」など。1968年からデリーで個展を開催のほか、トリエンナーレやグループ展に出品。エッチング作品を多数制作。1969年国家絵画賞を授与。1972年日本に滞在、絵本を2作品制作する。京都で秋野不秬(ふく)氏の協力でケララの壁画模写の展覧会。絵本「おひさまをほしがったハヌマン」が福音館書店より刊行される。1975年 国際交流基金の招きで日本に滞在して数多くの画家やイラストレーターと出会う。油絵の大作Nuclear Ragini V (Camel)は、インドが核実験を行ったことに対する衝撃から生まれた芸術表現であるという。また絵本「まるのうた」、「ヒマラヤのふえ」が福音館より刊行される。


1977年油絵の作品“Vision of War” “Yellow Robe” “Girl on the Swing” “King and the Elephant”等を次々に発表、1978年第4回インドトリエンナーレのメンバーコミッショナーに就任し、民俗画家達を含めた新進の画家たちを選抜しその革新的なやり方が注目を集める。この事が原因で国立芸術アカデミーの役職を退く。13年間に制作された作品展が開催される。1979年エッチング作品や油絵 “Fighting Birds”, “Gandhari” “Illustrations for Saadat Hasan Manto stories”を製作。1980年野間絵本原画コンクールで受賞。丸木美術館13周年記念展に参加するために日本を訪問、丸木位里・俊夫妻との親交が続く。1982年ヨーロッパ数カ国でのインド現代絵画展に出品、絵本「ジブヤとひとくいドラ」が福武書店より刊行される。





1982年にACCUの招きでバングラデシュでの児童書ワークショップに講師として参加。1984年陶器の作品”Water Bodies”を制作、1985年フランスを訪問。1986年 IBBY(国際児童図書評議会)世界大会のスピーカーとして日本訪問、大作”Yayati”シリーズを完成させ、展覧会を開催、1987年“蓮池”シリーズの制作が始まる、1988年ACCUの招聘で韓国での児童書ワークショップに講師として参加、1989年 中国に招聘を受け訪問、1990年Urvashi Pururavasシリーズを制作。1991年ラジャスターンの部族民の人々や生活をモチーフとした油絵・水彩作品を多数制作。ケララ・ラリットカラ・アカデミー会長に就任、1992年絵本「黄金の町」が三友社出版より刊行される。





27年間勤務したジャミア・ミリア・イスラミア大学を退官、1993年トラヴァンコール藩王国のラジャ・ラヴィ・ヴァルマの文化財作品展を、初めてケララ州外で開催、1994年 “Reality in Search of Myth”と題した大規模な作品展を開催し、画集を出版。インドの元首相で暗殺されたラジーブ・ガンディを記念した公園の壁面レリーフを依頼される。

1996年 イギリスで個展を開催。ACCUの招請パプアニューギニアでの識字教材ワークショップに講師として参加し、現地の昔話形式を取り入れてマラリア蚊の撲滅のためのポスターなどを製作する。
1997年 “蓮池“”シリーズを発表、ビクラム・シィンによるラマチャンドランを特集したドキュメンタリー映像が制作される。1998年 “Icons of the Raw Earth” と題した画集の出版と大規模な個展が行われる。インディラ・ガンディー国立芸術センターの理事となる。2001年“Imagined Territory”と題した個展を開催、日本の秋野不矩美術館にて展覧会

デリーの国立近代美術館にて”A.ラマチャンドラン回顧展と題した40年間の画業を集めた展覧会を開催。2004年インド最高の文化勲章を大統領より受賞する。2005年絵本「大亀ガウディの海」の三言語版がディンディガルベル社より刊行される。現在まで油絵、彫像、水彩などを中心に、多くの作品を制作している。




「大亀ガウディの海」の絵本は、原作は田島伸二が執筆した寓話で、子どもから大人まで楽しめる環境絵本として、オックスフォード大学出版局で刊行された英語版をもとに、アジアでは14か国で物語が翻訳されている。ラマチャンドランが他の作家の寓話作品にイラストを描いたのは初めてという。朝日新聞は、「日本人の書いた寓話集がこれだけ広くアジアで翻訳され出版されることは極めて珍しい。この寓話には現代を考えさせる多数のメッセージが含まれており、自由や幸福、そして深刻な環境問題を考えさせる。」韓国の東亜日報は、「人間は絶え間なく文明を発達させてきたが、その結果は道理なき自然破壊だった。人間は宇宙においてごく一部であるとの認識をこのように鮮明で単純な話として描くことが出来るのは驚くべきことだ。」と論評している。



絵本は、東京にあるディンディガルベル本社に電話{090−6505−1782)あるいは、全国の書店に注文可能。本社への注文が迅速
絵:A.ラマチャンドラン 原作:田島伸二 日本語版/英語版/韓国語版、B4変型 / 並製 / 全ページカラー143頁 /
ディンディガル・ベル刊、定価2625円(本体2500円+税)
(発行元)ディンディガル・ベル 
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