「大亀ガウディの海」が生み出された社会の中で生きる私

1960年代は、水俣病イタイイタイ病など、日本の高度成長経済の下で、次々と深刻な環境問題が発生した環境の中にありました。私は公害で苦しむ人々の気持ちを感じながら成長した団塊の世代に属していましたが、その中で痛感したことは、人間による環境問題で苦しんでいるのは人間だけではない、実は海や陸や空に住む無数の生物や動物の存在もあったということです。しかし自然の動植物や生き物は、人間のような雄弁な言葉をもっていないので、いつも全身でかれらの苦しみや悩みを表現しているということです。



水俣病で水銀中毒になった子猫が、苦しみの余り踊り狂うさまは実に恐ろしいものでした。北海のあざらしは、海洋で廃棄された原子力潜水艦放射能によって、数千頭が一度に海岸に打ち上げられたり、身近には工業排水によって小川の鯉がすべて死んで白い腹を炎天に向けて流れていくさまなど、日本列島が、春になっても小鳥の歌わない、みみずも出てこない、虫も見当たらない“沈黙の春”がやってきているようでした。そしてチェルノブイリ原発で起きた大事故は、人間の文明は莫大なエネルギーを得ようとする余りに、危機的な文明の絶壁に立っているという警鐘でした。そして21世紀に入ると、環境問題は、あっという間に地球全体を覆いつくし、細胞の隅々まで汚染され、しかも氷が溶け始めて追いつめられた北極のアザラシや鯨は生存を求めて大海洋を彷徨い始めたのです。地球の二酸化炭素におよる温暖化現象は、人間の文明に深刻な警鐘を鳴らしているのです。




1995年、太平洋8カ国のユネスコの図書開発会議を開催するため、フイジーに行ったとき、南太平洋大学の学長コナイ・ヘル・タマンという人類学者に出会いました。そして“大亀ガウディの海“の本を贈呈すると、彼女は一晩で読破し、「今日の環境問題や核問題を考えると、この本は太平洋のすべての国の人々が読まなければならない必読書だと思います。これは太平洋を決して核の廃棄場にしてはいけないというメッセージです。海を汚してはいけないのです」と力説されました。ちょうど同年には、フランスが、太平洋のムルロワ環礁で核実験を強行しようと画策している時期でした。




その当時、私は、フイジーから帰国すると、すぐにフランスのシラク大統領に、この本の英語版を抗議書簡とともに送ったのです。「シラク大統領殿、貴殿の言われるように核実験が人畜無害だと言われるなら、今回の核実験を太平洋の美しい環礁でやるのではなく、なぜパリの凱旋門エッフェル塔の地下でやらないのですか。それともフランスの旧植民地の人間は、焼いて食おうと、煮て食おうと、すべてフランスの自由だと言われるのですか」と尋ねました。しかしその答えとは、美しい太平洋の環礁に放射能まみれの大きな陥没を作ることに成功したニュースでした。サンゴ礁が高度の放射能で汚染されてしまったのです。核実験は、このあとも中国、インド、パキスタン北朝鮮と続いており、そして核大国のアメリカは、現在でも臨界内核実験を数十回も強行しているのです。そして、中国やインドをはじめ、経済活動が活発化し始めたアジア地域では、環境破壊の中で貧しい人々はますます貧困に追い詰められ始めたのです。 


そしてこういう環境の中で、2011年3.11の大地震の直後から、福島原発メルトダウンが始まったのです。これは史上最悪の原発事故で、その危険性は1年数ヶ月経った今でも続いているのです。


またこれまでは汚染の有様を目や感覚で把握することが可能だったのに、今日では目には見えない遺伝子操作や染色体の移し変えという新しい環境問題も浮上してきているのです。こうした状況の中から生まれた「大亀ガウディの海」の物語は、恐らく追いつめられた海の生物から頼まれたものではないかと思ったぐらいです。そして、この物語の最初の本は、リアリティと想像性を駆使したイラストを描いた田島和子による英語版をもとに、アジアの国々では、16カ国の16言語に翻訳されていきました。


驚いたことは、核実験を行ったパキスタンでは、ウルドゥー語で翻訳出版されたこと、現在、核疑惑で揺れているイランのファルシー語で、テヘランで出版されたことです。それぞれの国には環境や核について苦悩する人々がたくさん存在しているのです。韓国では、北朝鮮の核問題に関連して大きな話題となり、この物語は4社からそれぞれ違った版で刊行されていますが、初版について東亜日報は、その書評に次のように記しています。



「我等は自らを万物の霊長といいながら、もっぱら人間だけの発展に力を傾けてきた。便利な時代に住んでいることを、一日に何度も実感する。お互いに便利な環境を占めようと人間たちは、絶え間なく文明を発達させたが、代わりに得た結果とは、道理なき自然環境の破壊であった。大亀ガウディの海(初版・精神世界社刊)を読みおえて、我等は文明の発達に絶え間なく驚嘆し、それが与える便利な生活方式を葛藤なしに受入れてきたが、もうこれまで満足してきた幸福をこれ以上享受することはできないことがわかる。



もちろん世界の一部では、既に宇宙の摂理を自覚し、人間は宇宙において、そのごくごく一部であるとの認識が芽生えていることも事実ではあるが、それをこのように鮮明で単純な話として描くことができるというのが、驚くべきことである。30年間水族館に住んだ大亀ガウディがもどった海は、その間に既に生存を圧迫されるほどに汚染されていた。かろうじて探し出した場所が、南太平洋のスーリヤ海、そのスーリヤ海で人間が核実験をすることを知り、ガウディは自分の身を投じて核実験用の電線を切断する。
 十五夜の月光をたっぷりと浴びた美しい南太平洋の波の中で子亀たちが、ガウディが黄泉の世界に旅立ったスーリヤ海に向かう場面では、感動で胸が濡れるのを覚える。

サン・テグジュペリの「星の王子さま」が、人間の心性にむけて幸福の定義を具現する童話であるならば、「大亀ガウディの海」は、宇宙の摂理の中で我々が一緒に存在しえる時に到達する事ができる人間の真実を反芻させる大人の童話である。」と書評に述べています。 
               
またベトナムでは、ハノイにあるベトナム国際政治外交学院のグエンニュン(Nguyen Nhung)さんが、「環境破壊に直面しているベトナムの海亀の保護における国際協力の役割」の論文の中で次のように記しています。 「ベトナムの長い海岸を故郷にしている、何万匹もの大海亀の多くは、現在、自然の脅威ではなく、人間の脅威によってその生存が脅かされています。かれら生物の生息地は次々と破壊され、地球上では深刻な環境汚染が急速に進んでおり、これまでの歴史にはなかったようなスピードで、毎日生物の多くの種が滅んでいっています。ベトナムでは、環境破壊から重要な生物を救うために環境保護団体に協力して、環境保護への努力を続けようとしています。


私たちの環境を保護するため努力を傾けている人はだれでも海亀に関する素晴らしい物語を書いた作者に感謝を捧げたいと思います。この物語を読んだ人は、彼の家族を守ろうと大都市から大海洋に戻ろうと必死に努力して困難な旅をするガウディという海亀を忘れられないことでしょう。私は、大亀ガウディの偉大な犠牲によって多くのことを学びました。これによってベトナムの海亀に関して論文を書こうと決めたのです」と綴っている。




地球は病んだ皮膚をもっている



30数年前の台風のある日、水族館で一匹の大亀の苦しむ様子と出会ったことから書き始めた物語が、こうして現在、世界中で読まれ始めているのは非常に嬉しい気持ちですが、海洋や大気汚染はますます深刻化しているのが悲しい現実です。地球の温暖化現象は、あっと言う間に全地球上の深刻な政治課題になってもいるのです。ニーチェの言うように「地球は病んだ皮膚をもっている。それは人間の存在である」という課題に真剣にとりくまないといけない、人間はなぜ自然を破壊する存在であるのか。



「大亀ガウディの海」の絵本を描いたインドの著名な画家であるA・ラマチャンドラン氏とは、1982年にバングラデシュの絵本ワークショップで出会いました。彼は1990年に「大亀ガウディの海」のイラスト60枚を一挙に画き上げてくれました。当時、彼はデリーのジャミリ・ミリヤ・イスラミヤ大学の美術学部長という要職にありましたが、インドの曼荼羅(まんだら)のスタイルを取り入れ、オリジナルからデザインしたいと、2ヶ月かけて絵本を描いて下さったのです。



デリーの自宅で、膨大な下書きを見て驚嘆しました。彼は「亀はインドのヒンズー教では、ビシュヌ神の化身であり、宇宙全体支えている聖なる存在と言われている。だから特別な感情をもって描いた。」と言いました。しかしこの美しいイラストの絵本は、カラーのイラストが60枚と多く、日本では出版条件が厳しく、15年間も刊行することが出来なかったのです。



そのため2005年、韓国の友人で、絵本作家でもあるナミソム社長のカン・ウーヒョン氏が、ソウルの女性新聞社の書籍部門代表のリー・ケーヨン氏と、印刷製本などに全面協力を行ってくれました。韓国の友人によってガウディが世界中を泳げるようになったのです。そして英語版への翻訳は、インドの音楽家アメリカ人、T ホッフマン氏が行い、1999年にオクスフォード大学出版局から英語版が刊行されました。組版の製作などレイアウトなどは、道吉剛氏が協力してくれました。



そしてこの絵本が、ソウルで印刷され出版されることになったのは、ディンディガル・ベル社の代表で編集者でもある黒川氏の努力に負うところが大きかったのです。彼女の励ましがなかったらこの美しい絵本も存在していなかったのです。また2005年1月に亡くなられた東外大名誉教授の鈴木斌先生を始め物心両面から多大なご支援をいただきました。内外の多数の友人からの絶えざる励ましによってこの物語が、初めて形になっていったのです。 



水族館の一匹の“大亀”と“国境を超えた無数の友人”との出会いに助けられて、この環境絵本が作られ、世界に向けて発信されていったのです。考えてみると、こうしたプロセスこそが物語ですね。大亀ガウディよ!今こそ大海に帰れ!そして宇宙を司る環境の化身となれ!