語りの世界がつむぎ出す「命のメッセージ」

語りの世界がつむぎ出す「命のメッセージ」古屋和子の語りから


2009年12月15日、中目黒GTプラザで、昼夜2回にわたって古屋和子氏の語りの会が行われた。古屋和子氏は、中世の平家物語近松門左衛門などの作品の語りでよく知られた語りの達人であるが、現代の環境作品「大亀ガウディの海」は、彼女にとって本邦初公演となったそうだ。

1時間を超える語りが終わった時、会場には大きな感動が巻き起こった。そこには目を真っ赤に晴らした多数の聴衆があった。物語に引きこまれたのだ。語りの世界・・・これは語りの凄さというものかもしれないが、この作品が表現した今の地球環境や追い詰められた海の生物たちの呻き声は、まるで彼女自身が自然を代弁しているかのようであった。地球環境や生物環境は、今絶壁に立たされている。私たちが岐路にたっているのを実感した。

語りとはそれにしても凄い世界だ。それにとびきりおもしろい。身も心もゾクゾクする。語りには、なにも仕掛けはない。ただ言葉で絶妙にすべての世界を表現する。彼女は語りの中で、歌を3曲歌った。波の音、魚、子亀たちの心を歌った。聴衆は想像力を駆使して、喜んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、そして考えた。


私たち人間という存在を・・・・人間は歴史始まって以来、こうしていつも人は他人の言葉に耳を傾け、そして口を開いて相互に語りあってきたのだろうが、現代のようにテレビやコンピューターなどの機械が人間に代わって登場すると、他人の肉声に長く耳を傾けることが非常に少なくなった。稀になった。これはある意味では、他の存在に対して興味や関心が薄れてきたと解釈してもいいかもしれないが、自他ともに、命への関心が低くなってきたりコミュニケーションする力が弱くなってきているのかも知れない。



この作品は、30年も前、田島伸二氏によって執筆されたもので、1994年に透土社から刊行され、丸善が発売している。そして今では、東京にあるディンディガルベル社が、この本の日本語版や英語版を刊行しているという。
田島氏は1947年、広島生まれ、幼少より原爆投下や水俣病や太平洋での核実験に大きな影響を受け、この物語を学生時代から書き始めたという。英語版は、1999年にオックスフォード大学出版局から刊行されているが、アジアの国々では、すでに16カ国で翻訳出版されている。私は、日本発の環境寓話がこれだけアジアの国々で翻訳刊行されている例を知らない。これも驚き。。。。



日本語以外には、英語、韓国語、タイ語ラオス語、ベトナム語タガログ語(フィリピン)、マラティ語(インド)、ウルドゥー語パキスタン)、マレー語、シンハラ語スリランカ)、ベンガル語バングラデシュ)、ファルシ―語(イラン)、インドネシア語ビルマ語、ネパール語などがある。日本では、こうした事実はほとんど知られていないが、この本は、今ではアジア地域の環境問題を考える上で大きな反響を巻き起こしているそうだ。反核のことが物語の内容にあるが、インド、パキスタン、イランでも翻訳出版されているそうだ。


さて、先日も少しお話しましたが、「大亀ガウディの海」の物語と語りは、心の奥底に響く大変すばらしいものでした。ちょっと長くなりますが、改めて感想をお伝えできたらと思います。


物語冒頭、高層ビルの水族館に連れて来られたガウディの憂鬱、大きな呻き声は、私の心を捉えました。人間のエゴで作られたニセモノの世界への違和感、悲しみ、苦しみが、古屋さんの創造的で臨場感あふれる語りで、強く迫ってきました。水族館に住む海の生き物たちの考え、価値観、人間観にもリアリティがあり、現代社会がユーモアと
アイロニーたっぷりに描かれていて、どんどん物語の世界に惹きこまれていきました。
また、
「同じプールの中で生まれて死んでいくのに、何とかつながりでも持てるとしたら、生き物どうしずいぶん楽になるんじゃないか。」
「涙を流している者には、何を聞かなくても耳を傾けるだけで、涙のわけが流れこんでくるそうです。 誰だって話し相手は欲しいもの。寂しいんですよ。」

「わしがのろまだと?おまえはいったい誰とくらべたのじゃ。〜わしにはわしの速さがあるし、大亀には大亀の速さがある。〜大自然の中を泳ぐには、全身を自然の知恵で武装しないと、生きられんわけさ・・・」

「いろいろ束縛しているあらゆるたずなを、〜解き放ってやることが必要なのです。」

「本来自由に生まれついているんだから、自由でなくなったら大亀のようにどっかが狂っていくのは当然だよ。」

「自由を求めるのには理屈はいらないな。そのかわり何があっても責任をとるんじゃぞ。」


あらゆるところに、この作品には、人生に対する考え方、知恵が表現されていてドキッとしました。

そして、本物の海に戻ったガウディ達が変わり果てた自然、海を見た時の驚き、嘆き、苦しみ、
自分の中にあるエゴと葛藤、心の揺れは、現代を生きる多くの人が感じていることでもあると思います。


ここでちょっと私の話をしてしまいます・・・
私は子どもの頃から「私の中に妖精がいる」「動植物と話したい」「宇宙とつながりたい、つながれるはず」
と思っていました。周りの人や環境にも馴染めず、そんな自分を恥ずかしい、人と違ってどこか変、おかしい、ダメだと感じていて自分を表現できずにいました。作られたものばかりでピッタリくるものがなく、本物が見たい、真実を知りたいと思っていました。

自分本来の姿を知り、自分を十全に使って生きたいと思いながらも自分のことばかり考え、どうせ理解してもらえないとひねくれ、我慢するか戦うことしかできず、たくさんの人を傷つけてきました。そのうち話すこともできなくなり、自分の殻に閉じこもっていました。それでも、自分と向き合い、どんな自分も認め受け入れる決心をし、最近になってやっと少しずつ自分も相手も大切にできるようになってきました。

今の地球で核実験が行われるとダメージが大きく、自然や生きものたち、敏感な人々、(妖精なども)は、さらに苦しい状況に追い込まれるとのことでした。そんなこともあって、私自身環境問題にとても関心をもっていました。それなので、中ぶりを呑み込んでひとりぼっちになってしまったガウディが、痛みとともに自分を見つめ、周りにあったものの存在ややさしさに気づいて感謝し、仲間を大切にする心が生まれていく姿は、身につまされました(苦笑)。

あまりにも変わってしまった自然、海を身を持って体験していくさまを語る古屋さんの強く、静かな声色は、心の奥までズンズン入り込んできました。それとともに、生きものたちの叫びが突き刺さる感じがして、私の中で日登美さんの言う地球の状態、核実験のことがリンクし、気持ちが昂ぶっていきました。


爆発実験の場面ににさしかかって、古屋さんの声にさらに緊張と静かな熱がこもり、一瞬の間の後、ガウディが実験阻止のために飛び出しました。同時に私の中でもフランスで予定されている核実験を阻止したいという強い気持ちが湧き起こって、心のボタンを押しました。「ああああああ −−−−−」

ガウディの叫び声が、こだましています。
生命の樹。現代を生きる人々の、希望の樹。

古屋さんが水俣で見たとおっしゃっていた珊瑚のお話にも心が震えました。この物語がシラク大統領にも送られたと聞いて、思わず熱くなってしまいました・・・)それだけの強い力を、「大亀ガウディの海」のお話と語りは、持っていました。

語りの会ではなかったシーンも含め、
「この世の中では時々信じられないことが、起こることがあるんだよ。」
「人間の横暴さにはあらゆる動植物が怒っているよ。人間が自然のみんなからどんなにみつめられているか、しらないんだね。」
「見えない世界で恐ろしいことが起こると、いったんそれが見える結果をもたらした時は、とりかえしのつかないことになる。」
「目にうつったものだけですべて判断できない。目には願望のあらゆるものがうつるようなしくみになっているのさ。」
生命の樹はわしらの心の中にいしか、そびえていないんじゃないだろうか。」
「大亀ガウディの海」の根底に流れているテーマ、「宇宙、自然、人間を含めた生きものたちはみんなつながっている」、
「どんな困難な状況にあっても、自分で未来を創りだすことが大切」等に共感します。人間の想像力、物語のもつ力を信じます。


韓国の東亜日報は、その書評で、
サン・テグジュペリの「星の王子さま」が、人間の心性にむけて幸福の定義を具現する童話であるならば、大亀ガウデイの海(ガウディエパダ)は、宇宙の摂理の中で我々が一緒に存在しえる時に到達する事ができる人の真実を反芻させる大人の童話である」と述べている。


またベトナムでは、「この物語を読んだ人は誰でも、彼の家族を守ろうと大都市から大海洋に戻ろうと必死に努力して困難な旅をするガウディという海亀を忘れられない。私は、大亀ガウディの偉大な犠牲によって多くのことを学び、そしてベトナムの海亀に関して論文を書こうと決めた」と語り、ベトナムの長い海岸線に住む海亀の保護活動を始めたことを感激的に論文に書いている。


また読者の学生は「私が一番感動した本」という中で、「その壮大なテーマが衝撃的。高層ビルの水族館で長年暮らした海亀が、大自然の海が恋しくなって、ある画策の末、念願の海へ戻るが、海は死に絶えている。これでもか、これでもかというくらいの、汚染された海が悲しい。その中で、極限の生を強いられるガウディと、出会った全ての動物達の深い意味をもった会話。寓話とはいえ、ものすごいメッセージが伝わってくる」と感動的に書いている。


次世代に環境問題でなにを伝えるかと考える時、こうした語りはいついつまでも子どもたちの魂や精神を震撼させるものだと思う。つまり地球では、人間だけが生存するのではなく、他の多くの生き物たちと共生する無限の優しさが何よりも必要だということを感じさせてくれる語りの時間と空間が必要なのです。

それを何よりも実感した日でした。

現代の語りよ、蘇れ!!

ー島振一郎