絵本を創る意味

昨年4月、アフガニスタンカンボジアビルマの出版の関係者を対象とした絵本製作ワークショップが開催され、私は教材作りの研修を担当した。短い日程であったが、3ヵ国から計10名の専門家が参加して教材を作成した。その中にアフガニスタンから4人の参加者がいた。彼らはアフガニスタンの戦火の中で苦しむ子どもたちにどのようなメッセージを伝えようとしているのか、興味はつきなかったが、彼らが試作した絵本を見て驚いた。

物語のタイトルは「3人の男たちと埋蔵金」である。

「あるとき、3人の男たちが、埋蔵金を掘りにでかけた。3人は運よく埋蔵金を見つけるが、みんな なんとかしてそれを独占しようと企み、まず2人の男が、もう1人の若い男に食べ物を探してくるように命じた。そこでその若い男が食べ物を探しにでかけると、その2人は、彼が帰ってきたら食べ物を受け取った後彼を殺して、埋蔵金を2人で山分けしよう」と謀議を諮ったのであった。
しかし食べ物を探しにでかけた男もいろいろ考えて、手に入れた食べ物に毒を盛って、2人を殺して自分で埋蔵金を独占しようと企んだのであった。そして計画は実行された。若い男が食べ物を持って帰ってくると、2人の男に殺されてしまう。2人は大喜びで食べ物を食べながら、2人が金品を独占できたことを喜び合うのであったが、食べ物には毒が盛られてあり・・・・結局3人とも滅びてしまう」

アフガニスタンの4人の参加者は、「この物語はアフガンでは、誰でも知っているよく知られている物語で、昔から語られていてだれもが大好きな物語だ」と述べた。そこで私は、参加者たちに、この物語のメッセージはなんだろうかと尋ねると「それは協力することの大切さだ」と答えた。しかし私はそうとは思えなかった。「この物語は、協力の大事さを説いているように一見見えるけど、実は協力することへの恐ろしさや危惧を説いているのではないか」と尋ね、さらに「人を信頼するととんでもない目に遭い、やがては滅びてしまう」という教えではないのか」と尋ねた。

すると参加者は、「いやそうではない。信頼の大切さを伝えるものだ」と言った。確かに民族によって「信頼」の伝え方はさまざまに違うだろう。とは思うが、考えてみれば、こうした物語によって、アフガンの子どもたちが現在、育まれていることは、なんという悲観的で非情な人間の実態について子どもたちに伝えているのだろうか、暗澹とした気持ちになった。これではおそらく信頼感は永遠に育まれない。3人集ったら文殊の知恵という東洋の知恵といったものではなくて、3人集ったら恐ろしい疑心暗鬼が招来する・・・これはアフガニスタンなど多民族国家が直面している、現在のリアリティを見事に表現しているのかもしれないが、もし子どもたちに信頼感を醸成しようというのが目的であったなら、もっともっと積極的的な価値の内容をともなった物語がいいのではないか、と4人に話しかけてみた。

例えば、日本の毛利元就の3本の矢の教えのように、3人が協力したらこれまでにできなかったような大きなことができたとか、1人でできなかったことも3人のそれぞれ異なった個性が活躍すると目的が成就できるとか、なにかそのような積極的な価値形成が人生では必要なのではないかとも話してみた。
「おおきなカブ」というロシアのトルストイが物語を書いた絵本がある。大きくて引き抜けないカブを、人間だけでなくたくさんの動物の力も合わせて引き抜いていく絵本である。それでも大きなカブは抜けずにみんなが困っていると、最後には小さなネズミが参加して、力を合わせて引き抜くのに成功した物語である。子どもたちには、こうした象徴的な物語が必要なのだと思う。

協力の必要性を交えたおもしろい物語の必要性がうまく彼らに通じたかどうかはわからない、おそらく彼らが言うようにそのようなポジティブな価値をもつタイプの物語もアフガンにも存在しているには違いない。人間はネガティブな思考だけでは決して生きてはいけないからだ。とくに子どもたちにとっては。その意味でも伝統的な物語を継承するだけでなく、適切なものを選択肢、しかもそれをベースにした新しい創作がもたらす意味は極めて大きいと思える。

子どもは、そのとき受けた感覚や驚きやイメージによって行動を形成していく。民話や昔話には残酷なものが多いが、それは人生や社会の残酷さの真実を、経験や想像を通じて子どもたちに伝えたいからである。
「語りや絵本」は、子どもの深い内面を長い期間にわたって形成していく最も重要な文化形成である。端的に言えば、子どもたちの内面は、「大人によって語られるものがたり」によって形成されていくのだ。物語が幼少期に語られていくことによって、子どもたちの価値観のほとんどが築かれていく。それは家庭内での話し合いや対話も同じような役割を果たしている。語りの中に人間の残酷さや卑怯さをさまざまな形で表現している。こうした表現によって人間の習性をなんとか変えようとしてきたのかも知れない。しかし語られる残酷さの世界と、書き言葉で描かれる残酷さの世界は、子どもたちの手に読み物の形で渡されるときには、表現方法もさまざまに変えられる必要があろう。


「・・・してはならない。・・・そうしないととんでもない目にあう」 などと、話し言葉の中では、伝統的な価値観を骨の髄まで「訓育」や「命令」の形で教え込もうとしているのが多い。しかし、太陽の光に向かわない植物や生き物はいないように、明るさや信頼を求めている世界が必要なのは、いずれの世界にも普遍的であるからだ。子どもたちの世界に、夢や希望を伝えることは非常に重要な仕事だ。そしてその夢とはただ甘くて子どもたちに媚びたものであってはならない。このアフガンの物語をどのように読み物にして創作していくかが、アフガニスタンでの教育の最大の仕事だ。それはパレスチナでも同じであろう。

考えてみると、こうした話は遠い対岸の話しでは決してない。日本の国内では、子どもたちは、幼少時どのような文化形成を心のうちに行っているのであろうか?凄惨な事件が頻繁に起きる日本の現実を考えてみるとき、この話と同様な物語がテレビにも漫画にもインターネットにもゲームセンターにもあふれている。そういう意味でもこのワークショップには現代の日本の状況について痛切に考えさせられるものであった。