青い鳥のいなくなった日本ー1

「ウザイ!キモイ!死ね!」
こうした言葉を毎日、教室で浴びせられていたら、誰だって自分が生きていることは嫌になってくる。そして毎日陰で悪口を言われたり、物をぶっつけられたり、みんなの前で下着を脱がされるというような屈辱が毎日、行われたとしたら、誰だって自分が生きていく意味を見つけるのは不可能だろう。こうした言葉は、教室の中の異質な存在や異分子を排除しようとするもの。担任の教師は助けてはくれないし、自分の両親に言ってもきちんと言葉の意味を聞いてはくれないときには、子どもは、周りの環境に絶望し、絶壁に追い込まれていく。

子どもたちの生活環境には、テレビ、ゲーム機に加えて、コンピューター(Webとチャット)や携帯電話(Web. メール.チャット)などが続々と登場しており、人間関係を作るコミュニケーションや人関係の体験不足などが決定的に欠如してきている現実がある。ネット社会が到来しているのに、言葉や文字についても、その変化に親や教師はなす術もなくただおろおろと傍観しているだけ。言葉はずっと古来から、緊密な人間関係や生活の中で切磋琢磨され使われてきたが、現代では、機械的で機能的な記号のように使われている傾向があり、親も教師たちも生活の中で本当の言葉の使い方”や”生かし方”を知らないところに追い込まれている。しかもそれを自覚していない。つまり世の中には、人を生かす言葉だけでなく人を殺す言葉もあることを・・・・・・知らない。

年間、約3万人を大きく超える大人が絶望の果てに命を自ら絶っている深刻な状況の日本。これは先進諸国内ではトップの自殺率である。都内の電車内では、ひっきりなしに「飛び込みによる人身事故」による電車の遅れを放送している。みんな自殺の車内放送には慣れっこになっている。これは単純な意味での「いじめ」によって起こったものではなく、経済的なものが大部分を占めるけれど、これにしても日本社会や日本人から見捨てられた人々と言えなくもない。自殺していった人々は「ウザイ!キモイ!死ね!」と大人社会から直接、激しい言葉で言われたわけでもないけれど、間接的にはこうした言葉や態度や社会環境によって「生きていく自信を喪失した大人社会」が、日本社会の陰の部分に存在している。そして成長し続けている。
 いじめの問題が深刻な課題として、日本社会の構造全体を揺さぶっているのは、これは日本の大人や子どもたちが自殺という手段以外にはもう自分自身を表現できなくなってきていることを意味している。社会やニンゲンが見えない絶壁に追いつめられ、そう、自殺以外に表現することができなくなった日本社会は・・・最も心の奥底から病んでいるという証拠。自殺予備軍や未遂者を含めるとそれは膨大な数に上ると思われる。

自殺していった子どもたちは、大人やいじめた友人たちに伝える"言葉!を「遺書」としてしか書けなくなった。人は誰でも"自分自身の言葉”をもてなくなったとき、書けなくなった時に、ニンゲンはニンゲンでなくなっていく。豊かな"言葉”とは、自分自身の意識を克明に表現しながら、自分自身の中の「青い鳥」を表現するものなのに、現代の表現とは「遺書」の中で初めてみんなの意識に刻印されている。青い鳥のいなくなった日本・・・