現在の原発壊滅は、「直ちに影響があるとはいえません」という保安院の信頼性

今回の巨大地震は、マグニチュード9.0と記録されましたが、2004年のスマトラ島沖地震は、マグ二チュード9.3。そして地震による津波は、スマトラ地域では最大43メートル、東北地方では推定15メートルと言われています。しかし過去の事例からみると、明治時代には、三陸地震でも、38メートルもの津波が襲っているのです。この地域を旅すると、よくわかりますが、津波で亡くなった人々の碑があちらこちらに建っているのです。

つまり福島原発が5メートルの防潮堤を築いていたというのは、余りにも歴史や体験を無視したもので、決して想定外というような言葉で逃れることはできないということです。原発という最も恐ろしい科学技術を使っていながら、想定外ということで責任逃れをしようとするのは許せません。そしてこれらを推進してきたのは、現在テレビで厚顔で発言している大学教授たちや専門家たち。彼らが被爆について数量や単位についても誤魔化しながら報告しているのです。

「直ちに影響があるとはいえません」
「直ちに影響があるとはいえません」

確かに直ちには、影響は出てきません。しかし確実に5年後、10年後、20年後には甲状腺ガンや白血病などさまざまな病気になってくるのです。これらは広島の原爆やチェルノブイリ原発などからも明らかなことです。その責任を、保安員や原子力安全委員会などはどのように取るのでしょうか?

もしこれだけの危険な設備を作るのなら、最低15メートル以上のの防潮堤などを築かねばならなかったのが、原発会社の最低限の義務と責任であったわけです。そして当時の自民党政府の責任でもあったのですが、しかし日本の原発会社は、原発を普及するための広告や宣伝費には膨大な資金を投下して、「原発の安全性」と周知させるために学校の子どもたちを無料招待しては、原発の安全性を宣伝していたのです。

これまで日本各地で、地震が来るたびに原発が多くの被害を蒙っていましたが、電力会社は、これらをすべて隠蔽していました。そしてマスコミも国民も深くその真実を見極めようとはしませんでした。そのつけが今回、みんなを襲ってきたというわけです。

考えてもみましょう。危険を見極めもせず、原発特需によって、甘い汁を吸ってきたのは、会社だけでなく、原発が林立する地域の多くの人々でした。政府や電力会社の甘い言葉に釣れられ、漁業権も安く手放し、原発の労働作業員となって必死に働いてきたわけですが、結局あとに残ったものは、放射能で使えなくなった土地、膨大な放射能汚染、食べられなくなった魚、そしてこれから始まる膨大な放射能患者などです。

こうしたことは、決して風評ではありません。レベル6の被災をしたら最低限の常識です。しかも欧米の科学者は、福島原発は、レベル7のチャルノブイリの事故を越えるのではないかとまで警告しているのです。こうしたことも考えるならば、現在どのようなことを大至急やらねばならないか明白です。もしこうしたことを行わなかったならば、人災という人の手による災害となります。

しかも深刻な原発の事態は、まだ止まっていません。止まったとしても冷却には最低3年以上かかりますし、チェルノブイリ原発のように膨大なコンクリによる石棺(せっかん)で閉じ込める作業を開始できるのは、それからの大きな仕事です。

チャルノブイリの事故のときも、放射能を浴びた多くの子どもたちの後遺症の結果は、10数年経過してから現れてきました。あとになればなるほど、幼少であれば幼少であるほど、その後遺症の影響は大きいのです。

こうしたことを考え、現在もなお東海の活断層の上に設置されている浜岡原発などは、すぐにも停止しなければならないのは、当然のことです。しかし電力会社も政府も、例えば、電力不足になるとか、冷却のための電源設備を津波の来ない位置に設置するとか、の理由をつけて、停止には容易に応じないでしょう。


これは最大の人災なのです。