日本は輝かしい業績を歴史の中に打ち立てたが、大きな欠点を持っている。それは反省しない民族である。

広島で原爆を体験したある方は、自分の息子に向かって「この仕返しには、日本も、ワシントンへ原爆を落とせ!」と遺言したそうです。これは極端な例ですが、こうした憎しみの連鎖が、世界中の歴史の中では、民族や宗教による憎悪といった形で、さまざまな形で進行中なのです。

それだけに、中国の南京虐殺にしても、(虐殺した人数ではなく)きちんとした日本国家の謝罪を行っていくことが必要ですが、(現在、日本と中国の間には、尖閣列島の問題だけでなく、非常にギクシャクとした関係になっており、特に中国の若者たちは日本に対しては憎悪といった感情を強くもっているのを感じるのです。こうした気持ちは、現在の経済や社会関係に大きな影響を与えています。

日本をよく知る著名な哲学者が「日本は実に素晴らしい数多くの輝かしい業績を歴史の中に打ち立てたが、最大の欠点は、かれらは反省しない民族である。反省しない民族は世界に向かって普遍的であることはできない」と話してくれたことが印象的でした。

現在は、広島の原爆慰霊碑で、額ずいて謝罪するアメリカの姿と同時に、日本も真珠湾や南京で謝罪する姿が相互に必要になっているのです。これこそが歴史の中で寛容の精神を育てていくことではないでしょうか?昨年は、アメリカの駐日大使が、初めて広島の原爆式典に列席しましたし、前年には、中国の駐日代表も原爆式典に列席しているのです。日本の大使が、南京を訪れて、式典に列席したことがありますか?

日本を文句なしに愛するといった偏狭的なナショナリズム愛国主義は、人々を感情的で盲目的に駆り立ててしまいます。資源や環境問題などで、現在の人々が、世界中で煽り立てられている厳しい環境の中で、戦争中に人々を煽った軍歌を流し始めていくことは、よくよく考えて行わなければならない重大なことだと思っています。こうしたことをよく考えて行えることが国際文化の中での大きな役割なのです。

歴史の継承とは、どのような短い歌詞でもメロディでもその背後にある「戦争で傷ついた人々、あるいは人々を傷つけた痛苦の意味や責任をきちんと伝えていくことが必要ではないかと思います。隣国の韓国、中国、フィリピンなど、日本がどのような方向性をたどろうとしているのか、彼らはいつも痛苦の歴史体験から見ているのです。

日本のこれからの方向性は、こうした点をきちんと踏まえていくことから自然に湧いてきます。私は、左翼でも右翼でもありませんが、今もって、日本に哲学が生まれていないのは、反省していない民族だからと思うのです。