シャンティ二ケタン(平和の地)で学んだラマチャンドランのこと

1975年頃、インドの西ベンガル州のシャンティ二ケタンに遊学していたときの思い出です。その地では、学校には在籍してはいたものの、哲学のクラスにはほとんど通わず周りのサンタル少数民族の人々の村を訪れたり、砂漠に学校を作ったり、夜には、ロビンドロナート・タゴールが作詞した歌を歌って過ごしていました。のどかな時代でした。文化や自然の豊穣なベンガルの地で生活していたのです。

この前、茨城の五浦という海岸にある岡倉天心たちが創立した研究所の近くを訪れたことがありましたが、天心もよくタゴールのシャンティ二ケタンを訪問したようですね。天心が日本刀をタゴールの兄に贈呈したという話しなどをゆかり(兄の娘)から直接聞いたことがありますが、その地はタゴールも愛したロトンポリという荒野の地でした。

その地で学んだ画家、そう、A.ラマチャンドランさんを招いて、昨年10月、東京でICLC主催の講演会を開いたとき、彼はこのような話をしていました:

「シャンティニケタンでは、教室の中で教えるのではなく、外の自然が私たちの先生だった。近くの村にでかけ、人々や風景をスケッチすることをさかんにやらせた。 この現実の生活をスケッチし、自らの想像力とあわせて作品を作りあげていくという習慣は、その後もずっと私の習慣となっていった。そして師のラムキンカールは私に何かを話して教えるわけではなく、私は師のする仕事のすべてを見、あらゆる瞬間に私は学んでいた。それは彼がスケッチをしているときにも、粘土をこねているときも、彫刻をつくっているときも、油絵を描いているときにも、また彼が歌ったり話をしているときにも、そして師が演出する演劇で、私が役を演じなければならなかったときにも、あらゆる機会が学びの時であり、学ぶことがないという瞬間はほとんどなかった。

このような師匠との関係を私はとても誇りに思っている。そして今日でも何か仕事上の問題に直面した時には、師を思い出し彼の考えを思いかえしてみるのである。ラムキンカールが教えてくれたことは、技術をこえたものを見ることであった。いわゆる美術のきまりごとや美術学校で教えてくれるようなものをこえて、自分自身の哲学を作れといわれたのである。その哲学には枠組みがあり、ラムキンカールがその枠組みを与えてくれ、その枠組みをもって私は活動してきた。」と語っていました。素晴らしい講演会でした。

私がシャンティ二ケタンにいた時、学校への道端に建っている粗末な家で、ラムキンコールさんを見かけたことがあります。上半身は裸で、私はサドゥー(修行者)かと思ったものです。ラマチャンドランの先生だったのですね。ラマチャンドランは、タゴール亡き後、大学の最も優れた芸術家と言われていますが、彼との語らいはそれはそれはおもしろいですね。 下記は彼のサイトです。このサイトは、アメリカにいる彼の息子が製作したものです。

http://www.artoframachandran.com/

そして妻の、チャメリさんはインド生まれの中国人、同じように素晴らしい画家です。2008年6月現在、二人ともロンドンで個展をやっていて、ロンドンから久しぶりに電話をくれましたが、なかなかいい絵です。
http://www.grosvenorgallery.com/exhibit_view.asp?id=1311

これらの作品を制作しているお二人は、京都の秋野不矩(ふく)さんや丸木位里・俊さんの友人でしたが、私にとっては、大きく年齢は異なっても ユーモアをいいながら、夜更けるまでお酒を飲みかわしていたのです。


                            東大寺前にて(2007年)